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短編小説『Hard Rain』

ある晴れた日、奏助くんは並々と水道水を入れたバケツを上腕筋をぷるぷるさせながら持ち上げてからひっくり返しました。お庭の乾いた砂利がまたたく間に潤いを帯び、太陽に照らされ続けた雑草たちは、喜んでいるようにも見えました。水道水の及んでいない、乾いたままの砂利のほうへ早歩きする蟻たち。逃げる間もなく水道水に飲み込まれた蟻たち。

バケツをひっくり返したような大雨が降ったのは二日前のことです。奏助くんは家の中にいました。高熱の油で天ぷらを揚げているような音がし、奏助くんは自分がどろどろの衣を身につけ、灼熱の天ぷら鍋に落とされるところを想像しました。あつっ!あつっ!あつっ!あつっ!まだ8歳の奏助くんのほうが、お父ちゃんやお母ちゃんよりもピチピチと飛び跳ねそうな気がしました。

「バケツひっくり返したみたいな雨やな」
お父ちゃんが言いました。「キショーチョー」というお天気を決めるところでも、そういう言い方をするのだと教えてくれました。「激しい雨」のことをそうやって言うのだそうです。説明したあと、お父ちゃんはボブ・ディランという人のハードレインという曲を歌ったあと、バケツをひっくり返したのよりもっとすごいのが
「滝のように降る」で、それよりもっとすごいのが「息苦しくなるようなアッパクカンがある雨」だと教えてくれました。バケツをひっくり返した雨がいちばん面白いと思いました。雨は強くなるほど、面白くなくなるのだと思いました。

「じゃあ、その次は?」
「終わりやね。この世の終わり」

水道水に飲み込まれた蟻たちを眺めながら、奏助くんはバケツをひっくり返しただけでも十分この世の終わりだと思いました。もし昨日お家の中にいなかったら、奏助くんたちもこの蟻たちのようだったかもしれません。川は氾濫していました。知らないおじいちゃんが、ちょっと川の様子を見に行ってました。冗談じゃないと思いました。何が面白いんだと思いました。ちっとも面白くないと思いました。水道水に飲み込まれてすっかり弱っていた蟻たちがひくひくとカラダを動かしはじめました。我が身に何が起きたのか、よくわかっていないんだと思います。奏助くんのひっくり返したバケツの中に入っていた水に打たれて動けなくなっていたことなんて知る由もありません。

昨日の雨も今、奏助くんがひっくり返したのと同じようにして、誰かが気まぐれにバケツをひっくり返したのだとしたら、なんて面白くないことなのだろうと思いました。川の様子を見に行ったおじいちゃんは無事なのだろうか。続報がないことに奏助くんは腹が立ちました。

乾いた砂利に向かい、なんとか行進しようとする蟻たちは言葉を発するわけではありませんが、耐えがたい不条理に咆哮しているように見えました。泣きながら応援する奏助くんでしたが、しばらくすると蟻たちは小さな体を痙攣させ、やがて動かなくなりました。

#令和3年7月17日
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