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短編小説『愛のエチュード』

 しかし何だね。出会いというのは、わからないものだね。劇団員の芙美子とは1回ヤったきり疎遠になっていた。何がまずかったというわけではないんだがオレにはその頃、別に付き合ってる女がいて、さすがにこのままどちらとも付き合うという器量がオレには無いことくらいは承知していたので、芙美子には、今の女を片付けてから交際を申し込むから少し待っていてくれと伝えた。あれからはや半年。女は別れてくれず、さりとて待たせ過ぎては芙美子が別の男のところにイッてしまうかもしれない。焦燥。いてもたっても居られないところ、芙美子の劇団と懇意にしている別の劇団が、仲間を集めてエチュードとかいう即興劇の稽古をやる、そこに芙美子も来る、という情報を仕入れ、劇なんぞとは無縁であったが、その劇団の人たちは知らぬ仲でも無かったし、「どなたでもご参加いただけます」ということだったのでオレはそのエチュード稽古に参加することにした。

 会場の青少年センターは地下鉄K駅から歩いて5分ほどのところにある。駅の近くのコンビニでお茶を買う。レジが2箇所あり、空いたレジに順次通されるフォーク型の列ができていた。片方のレジが溌剌とした感じのいい女だったから、そっちに回されたいと思っていたら違うほうに回されて、オレの人生いつもだいたいこんな感じと苦笑しながらレジへ向かうと、そちらは浅黒い肌の伏し目がちな女で、感情を込めず淡々と仕事をこなしていたから、いつもなら腹の立つところであったが、どういうわけか、この日は彼女には何か志があり、資金のために割り切って業務をこなしているのだろうと思い当たり、無感動に「152円です」と伝えられたところ「僕はそれでいいと思うよ」と返したら怪訝な顔をされた。隣の溌剌とした女が、この女の分まで「ありがとうございました〜」と声を張り上げた。

 青少年センターの、そう広くはない会議室が会場で、主催劇団の劇団員が5人と、よく知らない別の劇団の女が1人、そして芙美子とオレの8人が揃った。オレ以外全員女だ。他のメンバーはオレと芙美子とのことを知らないから表向きは全員が和気あいあいとした雰囲気のなかにいるが、オレに対する芙美子の態度だけは凍りついている。犬のうんこを見る目でさえ、もう少しあたたかいはずだ。おまえみたいな犬のうんこにも劣るクソが劇団経験も無いくせにこんなところに何しにきたんじゃ、と顔に書いてある。表情が見えないのはその44文字で隠れているからだろう。きっちり縁起の悪い数字じゃないか。
 
 凍てつく芙美子に慄然とする。しかし、今日オレが何しにここに来たのかを考えれば、芙美子をなんとかして溶かさねばならないのだが、きっかけが見つからないと思っていたら、主催劇団の女が2人1組でエチュードしましょうと言う。組み合わせを決めるくじ引きがはじまった。オレが芙美子と組めるよう願うのと同様に、芙美子はオレとだけは組ませるなと願っていたに違いないが、運命とは残酷なもので、芙美子はオレと組むことになった。アホのふりをして近づいていったが、芙美子の顔は引き攣っていた。あの夜あんなに豊かだった表情が、今日は44文字に隠れたままだ。

 オレと芙美子の組が最初にエチュードすることになったが、オレには作法がまったくわからない。主催の女が役を割り振り、芙美子がスーパーの店員、オレが客という設定になった。役者というのはたいしたものだ。開始の合図が出た途端、芙美子の顔から44文字が消えてしまった。オレはオレのままだ。芙美子が買い物カゴに入った商品一つひとつにピッピしながらもうスーパーの店員になりきっている。見物している他のメンバーの視線が気になる。いまのオレは既に何かやらかしてしまっているのかもしれない。発汗。芙美子はまだピッピしている。ピッピピッピピッピピッピ・・・・・・・・さすがにオレ、買い物しすぎなんじゃないのか、と思ったところに「はよ、買い物しすぎやろうてツッコめや!」とツッコんできて驚きすぎて転げてしまった。「お客さん、しょうもないですねー。ここに何しに来られたんですかー」と罵倒してきた。

 おまえみたいな犬のうんこにも劣るクソが劇団経験も無いくせにこんなところに何しにきたんじゃ。また顔に文字が浮かびあがってきた。ああ、もう芝居していないのか。それでいいのか。「何やねん、オレとヤッたときは、おまえが犬みたいに腰振って欲しがってたくせに」一瞬、芙美子の目の色が変わったが、芝居っぽい返しをしてきたから、「違う、違うって。半年前にオレとセックスした時の話やで」と説いたら高速ビンタをお見舞いされたが、面白いもので、その日を契機に、オレは芙美子と正式に付き合うことになり、それまで付き合っていた女とは別れたのだが、3年後にオレが結婚したのが、あの浅黒い肌のレジの女だったっていう話。

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