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読書の記録 氷室冴子『いっぱしの女』

 新聞だったと思うんですが「いま氷室冴子に再び脚光」みたいな記事のタイトルだけ読んで「ふーん」と思っていたところ、たまたま書店でこの本を見つけてちょっとした運命を感じて購入しました。なんというかバチっと目が合ったような感覚。本に限らずこういう出合い方をしたものって面白いんです。
 
 氷室冴子さんはあるインタビューで年上の男性に「ああいう小説は処女でなきゃ書けないんでしょ」と嘲笑されたらしい。文字で読むとこれ、なかなか衝撃的でマジか、と思うんですが、こういった見方をする人って少なからずいるし、僕も昔はそうだったようにも思うし、そうであるからこそ、もうそうあってはならないと強く自らを戒めてもいる。この当時、氷室さんは三十代の「いっぱしの女」として社会に在ったわけなんですが、ただそれだけなのに前述の処女発言を筆頭に様々な違和感に見舞われている。その違和感について冴え渡る筆致で描くエッセイ集です。

 文学について書いているくだりがあり、これは自分も大事にしたいと思ったんですが、氷室さんが大学時代に尊敬していたある教授の言葉で、その教授がいうには、かりにも文学を研究するなら「わかる」という共感を落としどころにしてはならず、せめて、私はほんとうに「わかっているら」のか、私が「わかる(共感する)」のはなぜなのか、と自分自身への問いかけを含んでいてほしい、とのことで。
 確かに「わかる」という共感は人と人とのつながりを強くするかもしれませんが、いっぽうで「ほんまにわかってるの?」「いや、全然わかってないやん」「でもまあ、わかるって言うてるしそういうことにしておくか」と妥協して置いてる案件、めっちゃくちゃあるんですよね。このくだり以外にも、日常、なんとはなしにもやっとしてた感情について鮮やかに解説してくれてあり、あ、やっぱりこの本、出合うべうして出合ったんやな、と思った一冊。面白いです。

蠱惑暇(こわくいとま)

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