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短編小説『歯石みたいな仕事』

「思ったよりも頑張ってますね。はじめて来られた時に比べたらすごくキレイです」

「うん」

歯を開いたままなので「はい」と返事ができない。頷くのも口内を委ねているので躊躇われた。3ヶ月ぶりの歯科検診である。3ヶ月前まで2ヶ月にわたり、澤井はこの先生に面倒をみてもらい、歯と歯の間に溜まりに溜まった歯石を除去してもらった。歯茎や歯そのものも綺麗になった。週に1回、先生と話しするのが楽しみになった頃、「次は3ヶ月後にまだちゃんと歯が綺麗なままかチェックしましょう」と言われて以来、3ヶ月ぶりの検診である。

3ヶ月前に歯間ブラシ5本セットを1セット買って帰ったのだが、3ヶ月間を5本で乗り切れるはずがないことはわかっていたから「無くなったら検診なくても買いにきていいですか」と尋ねたら「もちろんいいですよ」と言ってくれていたのに結局、5本めがくたびれてからも買いには行かなかった。

「ええ、ええ。そんなものです。澤井さん、それは別に恥じるべきことではないんです。
誰だってそうなんです。危機意識がある間はちゃんとしようと思うんですけどね、歯間ブラシが無くなった頃には澤井さんの危機意識も無くなっていたんですね。それは当たり前のことです。歯磨きをしていたら歯そのものは綺麗にキープできます、実際澤井さんも歯はすごく綺麗です、歯の間も見た感じでは汚れてるのはわからないですし、即痛みを伴うこともないですから、危機意識が無くなるのは当たり前なんです」

「うん」

「歯っていうのは面白いものでね、ピカピカにしているうちはちょっとでも汚れたら気になって仕方ないんですけど、少し放っておいて歯石ができたら、別にもう、それが当たり前になってしまって違和感なくなるんです、逆に歯石を全部取り除いてしまったらすーすーして気になってしまうくらいです、ほら、澤井さん、3ヶ月前にそうやっておっしゃってたでしょう」

「うん」

頷きながら澤井は高校3年の頃、同級生の片桐さんの家に遊びに行ったときのことを思い出していた。片桐さんの家で澤井は2人してテレビを見ていたのだが、そのとき澤井は「せっかく家で一緒に遊ぶのにどうしてテレビなんか見るんだろう」と疑問に思ったものだが、帰る頃には「まぁ、こんなものか、あれはあれで面白かったな」と思い直していた。

大学に入り、はじめて恋人ができ、澤井はその子を家に呼び寄せ、一緒にテレビを見ていたら「ねぇ、二人でいるのにどうしてテレビなんか見るの」と怪訝な顔で聞いてきた。大学に入る頃には、澤井はもう、家族ではない誰かと一緒に家にいるという状況で、テレビを見るという行為にもう何ら疑問を抱かなくなっていた。

何をやっているのかわからないが、なんらかの治療器具が歯に触れるたびに「ウイーンウィーン」と音が鳴る。3ヶ月前は不快に感じていた音にも慣れてしまった。

思えば歯間に溜まる歯石にしても、仮にずっと違和感が消えないならば、口内が気になって気になって他の何をすることもできないだろう。生活に支障が出ないよう、慣れてしまうようになっているのだ。

歯に限ったことではない。恋人とテレビを見て時間を潰すことにも慣れる。恋人との愛に満ちたお付き合いにも慣れる。不快な音のする歯の治療にも慣れるし、年長の先生に「うん」と返事することにも申し訳なさが無くなる。そういえば、今は1本1万円で受けている仕事が3年前までは1本3万円だった。3年前、「申し訳ないんやが諸事情あり、今回から2万円でお願いできませんか」と頭を下げられ、それまでの関係性も考慮して受け入れたところ、半年後には「この程度の仕事に2万円くれてやっていることに感謝しやがれ」という態度に豹変し、その半年後には「申し訳ないんやが諸事情あり、今回から1万円でお願いできませんか」と頭を下げられた。関係性を考慮すれば受け入れざるを得なかった。3ヶ月前に一度だけ、やや手間のかかる仕事だったため1本につき1万5000円の支払いがあった際は感謝を強要されたものだ。滑稽なことには、3年前の半額になっているにも拘らず、澤井は心の底から感謝の意を表していたのだ!

「うん」
澤井は先生の話に頷きながら、どうせなら歯石を除去する仕事ができないものかと思ったが、そんなことをしたら澤井は仕事を失ってしまう。澤井の仕事は歯石みたいなものだ。全部除去して風通しがよくなってしまったら困る。この先生も同じことを考えているのかもしれない。

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