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短編小説『JR大阪駅の立ち食いそば屋』

 京都からほとんど出たことのなかったオレがこの4月から大阪でもラジオの仕事をすることになり、週に2日、大阪に通うことになった。1日は生放送本番、もう1日はその生放送の下準備のためB町にある局へ入る。朝8時から始まる生放送が終わるのがお昼11時。正午前には解き放たれ、環状線で大阪市街に戻ってから昼食をとるのが楽しみの一つだ。とはいえ、ランチに使えるお金は限られている。最近はラーメンが普通に800円する。ラーメンとの始まりが800円であったならそれでも納得できようが、オレは550円だった頃のラーメンを知っているうえに250円の上積みほどに価値が上がっているとはどうしても思えないのでラーメンの選択肢は無い。いつの間にラーメンはあんなに高飛車になってしまったのかしら。庶民派代表だったからよかったのに。それに比べてうどんはいつまでも変わらないから愛おしくてたまらない。かけうどんなら300円かからないこともある。ラーメンなんて並が800円するうえに肉なしにしたところで50円程度しか引かれないからやれん。オレの生きる世界からラーメンは消えた。消えた隙間をうどんが埋めた。埋めた埋めた。そういえば梅田の語源は埋めたんだってね。何を埋めたか、それは知らないふりをしておく。オレにとってはうどんを埋めた梅田シティーで毎度毎度、うどんを食って京都へ帰るのがルーティンとなった。かつて阪急そばと名乗っていたそば屋でうどんとかやくご飯のセット580円。ラーメンは並オンリーで下手すれば850円するぞ。うどんよ今日もありがとう。いや、おおきに。ポールマッカートニーも来阪するたび嬉しがっておおきにおおきに言いよりますねん。ポールクラスになれば余裕でラーメンにおおきにするんだろうね、昨日何食うたん?アイアムラーメンメンメンメンイエスタデー。閑話休題。JR京都駅の立ち食いそば屋が昔からオレは大好きで何がそんなに好きかといえば自家製天かすが入れ放題のため、ただのかけうどんがはいからうどんに早変わり、南野陽子も舌鼓。いや、はいからさんは素通りするかも知らんけど、はい。その自家製天かす入れ放題の店と同じ名前の店がJR大阪駅にもあったさかいに入口で食券買うて、もちろんかけうどんやで、食券をおばちゃんに渡して2分と待たずに出てきたんはええんやけど、どこにも自家製天かすが見当たりまへん。向かいのホームにはあったんかな、まさよしくんに聞いてみよかな、松本に相談してみようかな、天かすに募る恋心。桜木町にはあるかもしれんけど桜橋口にはなかったわ。ただのかけうどんをつるつるいって出汁も飲み干して舌打ちを堪えてごちそうさんとおばちゃんに伝えたのがおそらくあのおばちゃんとの最後やね。失敗しました。オレはお店選びに失敗しました。こんなことならどうしていつものようにかつて阪急そばだったあの店に行かなかったんだろう。あの店は自家製天かすが入れ放題なのに。

 しかしオレの胸中には意外なほど清々しさがあった。オレに限った話ではないだろうが余裕のない会社に身を置いていると誰も率先して責任を取ることをせず、何か目新しいことをする者を嘲笑い、それが成功しなければ鬼の首を取ったかのごとくそれ見たことかと詰る詰る。そのような雰囲気のなかでは雰囲気をふいんきと読むことさえ憚られ、一つのミスがいつまでも尾を引き致命的欠陥として扱われるため結果、責任を取らない人間が出世して大きな顔をするという悪循環がウイルスのごとく蔓延る昨今、今日の立ち食いはあかんかったのーとカラッと笑える社会が実は気持ちいいのだということを理性ではなく本能が知っていたから自然清々しさが込み上げたのだ。ほんのちょっと前まで、オレたちは失敗を許される寛容な世の中を生きていたはずだ。立ち食いそば屋を出たときのオレのようなカラッとした笑顔で生きていたはずだ。いつの間にオレたちは窮屈になってしまったのだろうか〜あ〜あ〜あ〜イエスタデー。

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