見出し画像

令和3年8月1日のコロナ禍日記

明日から「まん延防止等重点措置云々」により、京都市内の飲食店では酒類の提供ができなくなる。「お酒呑んでもらえへんのに開けてても意味ないやんけー」と言う思いなのかはわからないけど、割とよく行くお店が明日からしばらく閉めるそうなので行ってみたわけなんやが、その店は外からも中の様子が丸見えなので19時すぎに覗いてみたら見事に満員やったので、私の入る余地はなかった。ここ数ヶ月、お店には行っていない私でさえ、明日からしばらく閉めるんやったら今日は行っとかなあかんやろーって思ったくらいやから、そりゃあ常連さんは集うよね。集まってたのが常連さんかどうかは知らんけど。

なんや言うたら槍玉にあげられる「お酒」なんやが、果たしてほんまにお酒があかんのか?っていう最近流行りの「エビデンス」はあるんかいな?と思いつつ、もはや誰しも反論する気力も萎えるといった風であり、こうやって意志という意志を削ぎ落としていくのが彼らのやり方なんかしら。一人もくもくと呑んで食べてする分には問題ないと聞きますから、逆に一日一食必ず「1人で」外食することを義務付けてしまうくらいのほうがみんな助かるんじゃないのかしら。

オリンピックについては、誰しもが何かしら思うところはあるはずなんやが、ちょっと前にTwitterで回ってきた「1階が火事やのに2階で宴会してる感」って言い得て妙やと思ったわけで。とはいえ、それはそれ、これはこれ。って割り切ったうえで五輪を楽しむ人たちの気持ちもわかるし、「反対反対言うてたやつの手のひら返しワラ」みたいな反応も腹は立つけどそりゃあそうやろうねーとも思う。

ところで私は人間性がどうであれ、どうしようもないクズやったとしても、その人の作り上げた作品とか、アスリートとしての実力とか、そういうのんは別物であると思ってるんやが、今日はじめてサッカー五輪代表の選手の「南アフリカの選手のコロナ陽性は我々にとって得でしかない」というような発言を知り、この発言がどうしてさほど問題視されていないのかがすごく不思議。スポーツマンシップとか正々堂々とか、そういうのは所詮建前なんだろうけど、言っていいことと悪いことがあると思う。相当あかん発言やと思うんやが。発言した人によって問題視されたりされなかったりするのだとしたら、それってどうなん?と思うわけで。ひょっとして私が情弱(情報弱者)なだけで本当はけっこう問題になってるのかしら。「公平」とか「中立」とか「平等」とか、そういう見地に立てば、私が知らないだけでけっこう問題になっていてほしいんやが、そんなことないかしらね。

#令和3年8月1日  #コラム #エッセイ #日記
#コロナ禍の記憶  #コロナ日記 #新型コロナウイルス #東京オリンピック #東京オリンピック2020
#東京五輪  #太陽日記 #note日記 #毎日note
#毎日更新  #ジャミロワクイ #ジャミロ涌井

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?