理学療法士の捨てなければいけない考え
こんにちは。理学療法士のこうやうです。
今回は
理学療法士のよく持っている考えについて
話していきたいと思います。
その考えとは何かというと
あらゆる障害を機能的側面から見ることです。
これは理学療法士であれば
必要な考え方というか根本となるものでしょう。
私は考え方を否定しているわけではなく
主張したいのは
その考えかたに固執することを捨てなければいけない
ということです。
このように思う理由について
疼痛の視点
話していきたいと思いますので
よろしくお願いします。
それでは始めます。
機能的側面でみることの重要性
最初はあえて機能的側面から見ることの重要性について述べていきます。
なぜここから見ることが重要なのかというと
患者様の疼痛除去の糸口に繋がりやすいからです。
慢性的な疾患を抱えている方は
破局的思考に陥っている場合が多いです。
この破局的思考とは
痛みが過剰に続くことにより
病的な不安や恐怖感などの異常な心理状態になることをいいます。
この心理的な問題の改善には
患者様の痛みがなくなるという成功体験が必要です。
そうすることで自分の身体が痛みなく
どれくらい動けるのか認識することができます。
例えば腰痛の患者様だとすると
セラピストが問診の中で
椎間関節性の腰痛という仮説を立てて
その疼痛の除去テストをします。
そして患者様の痛みをその場でなくし、
痛みを発している組織の特定を行う。
この過程だけでは根本的な治療としては不十分ではありますが
患者様の心理面の治療に大いに関わってくるはずです。
このような糸口に繋がりやすいのが
機能的視点から病態を見ることです。
ですからこの考えはセラピストとして
非常に重要な考え方です。
しかしそもそも痛みとは何なのでしょうか。
疼痛はどのように生まれるのか
まず疼痛科学の歴史に触れていきます。
1600年代は脳に痛みを感じ、情報を処理する部位があると考えられていました。
1965年にはMelzackとWallから
ゲートコントロール理論
が提唱されました。
これは有名なので説明は割愛します。
しかし1999年に上記の理論を提唱した
Melzackが
”痛みは感覚ではなく、脳の情報解釈”
というこれまでのゲートコントロール理論を否定する
主張をしました。
これはどういうことでしょうか。
つまりいえば
脳に疼痛を感じる部位はないということです。
では痛みはなんなのでしょうか
それは
脳がもたらした結果、つまりただの情報ではないでしょうか。
実は疼痛を感受する侵害受容器がありますが
この組織の役割は痛みを感じているのではなく
過剰なストレスを感じているだけです。
熱かったり冷たかったり引っ張られたり押されたり
さまざまな行き過ぎた刺激に反応します。
その刺激を脳が受け取り、「痛み」という情報に変換する
ということです。
ここからわかる通りですが
疼痛はかなりあいまいなものなんです。
痛みは身体を守るための重要な反応ではありますが
組織のダメージや器質的な変化と完全に結びつくものではありません。
ですから組織損傷が起きているのに痛くなかったり
痛いのに組織の変化がとくに見られなかったりするわけです。
以上のことから
疼痛治療におけるターゲットは脳である
といえます。
疼痛はあらゆる因子が絡んでいる
脳が治療ターゲットを考えると
様々な因子が関わってきます。
睡眠不足や人間関係、今までの経験・過去
トラウマ、仕事ストレスなど
機能的側面はその一部に過ぎないぐらいに
候補がたくさんあるのです。
そして患者様の中には
侵害受容がないのに「痛い」と言ってくる人もいます。
これはなぜでしょうか。
それはよく言われますが
痛みを記憶しているからでしょう。
これを説明するには
パブロフの犬
という実験がいいたとえです。
内容を簡潔に話すと
①餌を見て犬がよだれを出す
②ベルを鳴らしてもよだれは出ない
➂ベルを鳴らしながら餌を見せると犬はよだれを垂らす
④ベルを鳴らすと犬はよだれを垂らすようになる
というような流れです。
痛みを記憶するのもこのような過程といえます。
腰痛を例にすると
①動くと腰痛がある。
②前屈動作はいたくない。
➂前屈動作をした際に前屈のストレスとは別の要因で腰痛が出現
④前屈で腰痛が出現
という地獄のような状態になります。
痛くなるほどのメカニカルストレスがかかっていなくても
痛みに反応してしまうわけです。
機能的視点の限界
このように痛みはメカニカルストレスと完全には一致しておらず
様々な原因や過程が関与しています。
つまり
機能的側面で障害をとらえるには必ず限界があるということです。
ですからさまざまな視点を持って
リハビリに向き合わなければいけません。
ということは誰もが実はわかっているのではないでしょうか。
理学療法士が機能的側面のみでみがちな理由があると思います。
それは
めんどくさい
つまんない
からだと思います。
なぜかというと
少なからず私はそう思うからです。
解剖や手技を習って疼痛がなくなる経験というものは
実に楽しいものです。
自分の知識で結果を出しているわけですから。
しかし前述したものを実践するには
患者様という一人の人間と真摯に向き合わなければなりません。
この際言っておきますが
人間とかかわりあうのってとてもめんどくさいんですよね。
これはかなり批判される発言だと思いますが
興味もない人に無理やり興味を持とうとするのは無理があると思います。
重要なのはわかりますが
理学療法士としての役割を逸脱している感がぬぐえません。
しかしこれができなければ
本当の意味でのリハビリはできない
というジレンマがあります。
私は答えが出ませんが
この記事をみた方々はぜひ考えてみてください。
最後に
いかがだったでしょうか。
話は脱線しますが理学療法で
「認知症を治す」「徒手療法で内臓はよくなるんだ!」
というような理学療法に無限の可能性があるように
主張する方がいますが
残念ながら限界があります。
理学療法士は動作という専門性についてはトップクラスですが
さまざまな分野にはそれぞれのトップクラスの職種がいることを
ちゃんと理解しましょう。
そのため、職種連携なのです。
今回はこれで以上です。
この記事は
令和4年3月27日開催の
「腰の痛みを多角的に考える~構造から機能、ミクロとマクロ的視点~」
を参考に作成しております。
この機会をくださった
所沢あかだ整形外科 朱田尚徳 様
医療法人 瑞穂会リハビリテーション部 阿久澤直樹 様
Body Craft代表 SASS Centrum, Inc.代表 川尻隆 様
に大変感謝いたします。
ここまで読んでいただきありがとうございました。
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