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門前日誌 -見る、言う、聞く-

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NPO法人日光門前まちづくりnote部が運営する「門前日誌」です。日光門前にまつわる「暮らし」について、各々の視点で綴ります。
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#日光

栗石返し〜社寺と門前町のつながり〜

「栗石返し(くりいしかえし)」という清掃活動がある。 形式だけを捉えれば“清掃活動”ではあるが、どちらかというと“行事”に近いと私は思っている。 年に一回。ちょうどこのくらいの時期に行われる。 で、今年は先日(4/21)に実施されたばかり。 門前町の町衆が日光東照宮と大猷院(家光公御廟・日光山輪王寺)の境内を掃除する。この両社には「栗石(くりいし)」と呼ばれる拳大の石が敷かれていて、この間に溜まった杉っ葉(これは方言か?)やくずを取り除く作業を行う。 この栗石、地元で採

祭りのあと

ふぅ。 今年も春の大祭が終わった。 「日光弥生祭」という。 個人的には3回目の筆頭頭役を仰せつかって、なんとか“乗り切った”という感がある。 おかげさまで、という言葉が全てについてまわるようなものなのだが、その辺については長くなるのでまた別の機会にでも。 さて、 祭が終わってすぐ、用事があって東京と横浜へ。 この時に感じたことをtwitterにこう書いた。 前にも同じようなことを感じたと思う。 日光弥生祭。 様々なサイトの説明や、紹介されている書籍などには これと似

桜降る #日光門前に暮らす #123

高橋広野です.今年も弥生祭が終わりました.若衆としては今回が2度目の参加で,住んでいる稲荷町で出ました.今年は桜の開花が遅く,宵祭当日もまだなんとか花を残した状態で,今までにないほど美しい景色を目の当たりにできました. 祭は正直あんまり好きではないかもしれません.慣れない下駄を履いたり,お酒は弱いので全然飲めませんし,どんちゃん騒ぎも好き好んでしたいとら思わないし.面倒な決まり事や人間関係,愚痴が絶えない日々,ひたすらに長い拘束時間….自営業を始めて,日々1分1秒が自分が生

底が見えたら登るだけ #日光門前につくる #4

2023年の秋の終わりに、日光の御幸町にピクニック屋さんをオープンしました。PICNIKKO(ピクニッコ)といいます。 冬の日光は観光客が少ない….飲食関係は2月は特に苦戦するという話もよく聞いていました。実際は12月、1月に比べてやはりお客さんは少なく、売り上げも最低金額を更新しました。 それでも、最低でもこのくらいかと思ったよりポジティブに捉えられそうで、今後伸びていくだけなら、しっかり冬も開けておく価値は十分にありそうです。冬が弱い観光地とはいえ、冬に来る観光客もい

石の上にも

気がつけば、節目の年を迎えることになっていた。 二つある。 一つは、日光門前の東町地区で進む街路拡幅整備事業が着工から20年という節目を迎えること。 全体で6つの工区(※)があり、現在は4つ目。折り返しを過ぎたあたり、と言って良いだろう。 一つの工区に平均5年。 歩道は拡がり、電柱は無くなり、電線は地下へ。 特別な街路灯も設置された。 東武日光駅前からの眺めも大きく変わった。 (※今後の整備予定区間は当初予定されていた二つの工区が一つの工区として進行する可能性がある。)

最寄りの絶景 #日光門前に暮らす #119

高橋広野です.2月.あっという間に立春が過ぎ去って,ようやくやっとまとまった雪が降りました.久しぶりの雪かきで腰が痛い….毎年のように「今年は暖冬で…」って聞いているのですが…寒冬はまだですか?(2021-22年の冬は一応データ上は寒冬にっていたようです) 寒いのは本当に苦手なもので…日光の一番嫌いなところはこの寒さなのですが,雪が降ると話は別です.久しぶりに雪景色を撮りに,日光の銀世界へ. NPO法人日光門前まちづくりnote部|高橋広野

お店から暮らしへ #日光門前につくる #3

2023年の秋の終わりに、日光の御幸町にピクニック屋さんをオープンしました。PICNIKKO(ピクニッコ)といいます。 □日光でピクニック屋さん PICNIKKOは、カフェとピクニック用品のレンタル屋さんです。飲食店としてカレーやチーズケーキを提供しており、テイクアウトもできます。加えて、ピクニック用品のレンタルも行っており、たっぷりの珈琲が入った魔法瓶とマグカップをかごに詰めて貸し出したり、アウトドアチェアやテーブルの貸し出しを行なっています。ピクニックを通して日光の美

町裏の遊び場。

《この記事は2023年の年末に書き始めるも、結局アップできず、今に至ります。恥。》 先日、年末というのもあって気忙しく車を走らせていた。(だがしかし、安全運転!) 近所の広い公園で7、8人の子供たちが元気に遊んでいる様子を見つけ、ああもう学校は冬休みに入ったんだな、という年末感と、自分も子供の頃よくここで遊んだな、というノスタルジーの二つでなんだかグッときてしまった。 この公園、昔は市営のグラウンドだった。今は防災公園として再整備されているのだ。 目抜き通りに対し、町の裏

卒業制作で考えた日光のこと(アウトプット)

 卒業制作は、もう4年ほど前になりますが、私にとって仕事や人生の目的の一つ、何というか「軸」みたいなものになっていて、すごく意味のある時間でした。  好きな日光のことに対して、調べたり、もっとこういうことができるといいのでは?と、四六時中考えていた時間は、胸が躍りました。 以前書いたものは調査のお話でしたが、今日は提案したもののお話。 提案したものは、一言でまとめると 「各町内の花家体の格納庫(居場所)をつくる」というものです。 そこから、町内の人のつながりや、観光客とも

最近のこと

最近は地元、日光にもしばらく帰れておらず身の回りのことをして時間が過ぎ去ってしまっています。 そんな中でも、自分にとって大きな出来事がありました。それは初設計の住まいが完成したこと。設計・建築してから売却するという、建売に近い形ですが、設計を軸進めるプロジェクトになっており、社内コンペで勝ち取り、初設計の機会をいただくことができました。 夏に完成し、完成し1か月も経たないうちに売却が決定し、うれしいと同時に少し寂しくもありました。 いい建築を見ると引き出しが増えていく感覚

3つのターニングポイントのうちの3つ目

まちあるきガイドツアー「日光ぶらり」では、冒頭で日光の概略としてガイダンス的にお話することがいくつかある。 そのうちの一つが“日光のターニングポイントとなった時代”について。 大きく3つあるのだけど、そのうちの3つ目は今から約150年前の明治期のこと。 長らく続いた江戸・徳川幕府から明治の近代化へと進む中、日光がどうなったのか、というところ。 江戸初期以降は「徳川幕府」の象徴たる存在だったことは、言うに及ばす。 それがどれだけ手厚く守られてきたかということも想像に易い。

黄色い春巻 前半

行って参りました奈良、会社の研修で西下しましたが、お陰様で初日から濃ゆい内容でして、リアルも功徳も天理ラーメンも充実した四日間でした。1日目の研修が一段落した夜に向かったのは東大寺二月堂、あの火事にならないのが不思議なくらい巨大な松明が行き来する「お水取り」で有名ですよね。 それは中坊の修学旅行のとき、大仏さんよりも二月堂を拝みに行きたい私は組まされた班からこっそり離脱、道すがら見張りの先生に捕まり引きずり戻されたというのは良い思い出です。今回こうしてこの無念を晴らすことが

夏の音がする #日光門前に暮らす #104

高橋広野です.あっという間に8月.住んでもう3年目になるけれど,日光の夏は初めてかもしれない.(いつも日中は日光にいなかったので,日光の昼間の暑さを感じることなく,涼しい夜の日光しか知らなかった…) 日光の夏は,朝は天気が良く気持ちいものの,昼頃には不気味な雲に覆われて,ゴロゴロと雷と共に通り雨が走っていく.雷の音も慣れたし,時折現れる滝のような雨の音にも慣れた.そんな毎日なのでいい加減そろそろ折り畳み傘を買おうと思う. 夜は相変わらずずいぶんと涼しくてエアコンいらず.で

これから日光3年生に #日光門前に暮らす #101

高橋広野です.この7月で日光に暮らしはじめて3年目に. いつの間にかもうこんなに経ったというか…. まだこれしか経ってないというか…. 3年目はもっともっと日光を遊び倒したい.というようなことは毎年毎年言っているので,なかなか実行に移せていないのでしょうが,もっともっと日光で体験すべきこと,したいことが山のように…. 3年目は何からしようかなーって感じですが,準備中のことがあれこれと. ひとまず大きいのでは,事務所兼店舗兼あれやこれやの小さな拠点を1つ,ようやく持てそうな