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黄色い春巻 前半

行って参りました奈良、会社の研修で西下しましたが、お陰様で初日から濃ゆい内容でして、リアルも功徳も天理ラーメンも充実した四日間でした。1日目の研修が一段落した夜に向かったのは東大寺二月堂、あの火事にならないのが不思議なくらい巨大な松明が行き来する「お水取り」で有名ですよね。

興奮してピントとか失敗した

それは中坊の修学旅行のとき、大仏さんよりも二月堂を拝みに行きたい私は組まされた班からこっそり離脱、道すがら見張りの先生に捕まり引きずり戻されたというのは良い思い出です。今回こうしてこの無念を晴らすことができました。嬉しさのあまり走りの行法をしようとする私を、案内してくださった京都の阿闍梨様が生暖かい目で眺めておられました。ありがとうございます。

嬉しさのあまり達陀しようとするが止められる図

調べてみると二月堂もとい東大寺は下野国とそれとなく関わりがあるようで、吾妻鏡には南都焼き討ちで焼失した伽藍を源頼朝が再建したと載っていますが、大仏の脇侍や四天王像の造立を御家人たちに負担させたようで、その中には宇都宮氏3代目当主朝綱の名前もあります。時期的には某13人のドラマで言いますと蒲殿が誅ゥされてしまったトラウマシーンの翌年のことですね。ちなみに伽藍助成のすぐ後に朝綱は別件で土佐へ流されてますヒエッ…

さらに時代を遡ると鑑真和尚がご来朝され東大寺で大規模な授戒式が行われた後、本国3ヶ所に戒壇が築かれています。1つは東大寺、1つは太宰府、そして下野薬師寺です。そう、そこで僧侶となり、教学を学ばれたのは日光のパイオニア、我らがご開山勝道上人です。しかもご開山は鑑真和尚の孫弟子にあたります。コレだけでご飯が何杯でもいけちゃう♪他にも厭魅やら神託で色んなお方がこちらへ向下しているようですが、それはまた別のお話です。このように絶妙な繋がりが古くから見られますが、私が1番気になっているのは修二会で読み上げられる神名帳に、しかも9段あるうちの初段に「二荒大菩薩」と記されていることです。(修二会、神名帳はグーグル先生に聞いてください)

神祇方のお名前は明神、菩薩で読み上げられる

何と!我が故郷の総鎮守が遠い都の法要に行幸あそばされるとは!しかも初段に!よっしゃぁぁぁぁー!モチベ爆上がりじゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!

とは言うものの、そこは素人ですからまずはwebの大海に繰り出してみたところ、「東南院」というワードが釣れました。こちらは東大寺の末堂で、あのパンイチ教化で有名な理源大師がお建てになられた東密と三論のシンクタンクでございます。どうやらそこの鎮守として祀られていたようですが、はて何故に醍醐・空宗のところに…まぁいっか。こうなれば後は資料漁りに行くまでです。さぁ、今回もよろしくお願いしますよぉ近デジさん!

そうして3週間はあっという間に過ぎたと言うのに何も出てこなかったのである。続


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