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祭りのあと

ふぅ。
今年も春の大祭が終わった。
「日光弥生祭」という。

個人的には3回目の筆頭頭役を仰せつかって、なんとか“乗り切った”という感がある。
おかげさまで、という言葉が全てについてまわるようなものなのだが、その辺については長くなるのでまた別の機会にでも。

さて、
祭が終わってすぐ、用事があって東京と横浜へ。
この時に感じたことをtwitterにこう書いた。

前にも同じようなことを感じたと思う。

日光弥生祭。
様々なサイトの説明や、紹介されている書籍などには

ひとつまちがうと町内単位の 『ごた=トラブル』になるため、大老から若者まで全神経を働かせます

http://www.futarasan.jp/yayoi/

これと似たことが書いてある場合が多い。

「トラブル」という字面は物騒だが、裏返せば“礼の祭”なのだと言えよう。
曳山祭りは全国数あれど、これほど手順遵守の祭りは今や珍しいのではないかと思う。
●町内の繰り出し(運行)の順番が決まっている。
→なので、他の町内の先に入る際はその旨の挨拶が必要。
→お囃子をつける順番、止める順番もそれと同様に決まっている。前の町内より早く奏でたり、止めたりしたらアウトー!
●家体(やたい・山車のこと)の止める位置が決まっている。
→その年の当番町が「確認」に出ていて、ちゃんと守られるか確認している。できなければアウトー!
●他の町内の家体に触ってはいけない。また、家体同士がぶつかってもいけない。

…などなどなど、他にも色々あるのだけどこの辺に。
これらには、いちいち「礼」がついて回る。
「全神経を働かせる」という言葉もあながち、、、大袈裟ではない。
が、みんな大体飲んでいる。朝から飲んでいる。笑

まあ、この辺も不思議な祭りだ。
いや、「飲んでいる」のは一般的かもしれないが。
都市伝説的に、この四月前半の日光門前の酒の消費量が全国一になるのだとか、そうでないとか。(知らんけど)

閑話休題?
小さな「祭(いのり)のまち」では、染み付いた「礼」がある。

時代が変わったって、何だって、忘れたり無くしちゃいけない大切なものもあると思うんだけどねぇ。
世間てのは、そうはいかないものかねぇ。(落語風)

江戸から続くこの祭(※)の全てが良いとは言い切れないと思う。
私自身も全てを賛美しない。
でも、上に書かなかった制度・仕組みなどでも「上手くできているな」と思うこともあるし、まるで人格を持った町内同士や人と人の関係性は、現在なくした色々が詰まっているようにも思う。

(※:弥生祭自体は奈良時代から。家体献備等の付け祭り行事は江戸時代から。)

多分、観光や客観的にこの祭(付け祭り)を見ただけではなかなかわからない部分がその辺にあって、かつ、本質なのでもある。

あ、そうそう。
わかりやすい礼?を一つ。
日光で「名刺交換」と言ったらこれである。

いかがだろうか。
だいぶ極端にうつってしまうので、、、こういう提示は良くないか。汗

ちなみに、この時の口上はこうだ。

○○町から参りました。
当日はおめでとう御座います。
ご町内御一同様に宜しく。

ここでも間違いは許されない。緊張の瞬間である。
が、間違えた時の対処法はあって、これが守られればとりあえずはOKである。
(ここでは書かない!笑)

こういう環境の中で育ってきてしまった。
都会の雑踏と比べるべくもないことだろう。

しかし、「環境」とは不思議なものだと思うし、もちろん人を含んだ環境のあり方を考えざるを得ない。

ああ、何を書きたかったのか忘れつつある。
まあ、面白い祭りだと思う。関わる人々は大変だけど。

云百年続けている日光、凄いね。

まる二日日光下駄で歩き回った足の痛みも癒え、片付けもそろそろひと段落し、、、、、
積み残した仕事や暮らしのタスクに追われている町衆の皆様、お疲れ様で御座います。
今年も大変お世話になりました。

おあとが、、、よろしいようで。

NPO法人日光門前まちづくりnote部 | 岡井 健(世話人)

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