ken okai | 界隈創造舎

環境デザイン/都市計画/NPO法人日光門前まちづくり:理事長/界隈創造舎:代表/元・都…

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環境デザイン/都市計画/NPO法人日光門前まちづくり:理事長/界隈創造舎:代表/元・都市デザインワークス:スタッフ/日光のプロジェクトと並行し、2018年度まで東日本大震災の復興まちづくりのお手伝いで仙台⇄日光の二拠点生活/東北芸工大環境デザイン学科卒/ブラタモリ日光編取材協力

マガジン

  • 門前日誌 -見る、言う、聞く-

    • 203本

    NPO法人日光門前まちづくりnote部が運営する「門前日誌」です。日光門前にまつわる「暮らし」について、各々の視点で綴ります。

  • 日光の門前町、その文化に関するあれこれ

    日光の門前町。大きな光に照らされて光が当たってきた部分もあれば、まだまだ知られざる暮らしや文化があります。それらについて調べ、考えたポストを集めます。

  • つぶやきアンプリファイヤー

    twitterでつぶやいたことを少し増幅して書いてみます。

  • どこかに身を置き、考えたこと。

    様々な環境に身を置き、そこで考えてみたことを綴ったものを集めました。

  • しもつけ随想+

    下野新聞の「しもつけ随想」に寄稿したものと、各テーマに関係したものをマガジンにしてみます。連載は2021年7月〜12月まで、5回に渡って掲載予定です。 概ね、まち・まちづくりについて毎回テーマを変えながら書いています。

最近の記事

盆の周辺〜行事なのかイベントなのか〜

「行事」と「イベント」。 同じだろうか。ふと思うことがしばしばあった。 雑な拾い方になるが、ザッとこんな感じ。 現代においては「イベント」が「行事」を包含して、多用されているような印象が強い。(あくまで主観である) そんな中で行事の解説に「儀式化して」とあるのが、ポイントになってこようと思う。 ウィキペディアの「イベント」には、次のようにある。 さすが、なるほど。 やはり、「イベント」が「行事」を包含しているのだと思う。 そんな中で前述の行事の解説の冒頭に「儀式化して」

    • 観光と地域の暮らしの交差するところ

      毎日、大通りを見知らぬ人が通る。 その事実だけを取り出したら、極めて「都市的」というか「都市部のよう」ではある。 けれども、その実は小さな町。 人口も減って、例に漏れず高齢化も辿っている。 この、冷静に見たらアンバランスな状況の中、大きな期待を持って訪れる人がたくさんいる。 期待はその地域の環境や暮らしにリスペクトを持ったもの、憧れを持ったものもあれば、刹那の欲を満たす「消費」に近いものもあるだろう。 その人の中にしかないものなので、それらは判別はできないだろう。所謂、自己

      • 門前町は大自然への扉

        6月末、久しぶりに奥日光へ。 町内のハイキングに参加し、湯の湖から湯滝、湯川沿いを歩き、光徳まで。 ああ、湯元の源泉はこんな香りがしたっけ、とか、湯の湖畔はこんなに静かだっけ、とか、湯滝はこんなに壮大だったか、とか、湯川の周辺の環境は上手く言葉に表せないほど素晴らしいな、とか。 あらためて体感と実感の中歩いた。 様々な技術が発達しても、体感、経験、実感を超えることはない。 こうした自然の中に身を置くことについては、特に。 山、湖水、川、湿地帯。様々な条件が入り組んで豊かな

        • 視点 / 角度

          先日、一枚の画像をいただいた。 この写真は、出張で日光にいらしたゲストが宿泊先で撮ったもの。 5月のよく晴れた日。東武日光駅前から社寺にかけての大通り(メインストリート)と、門前町の向こうに日光連山のスカイラインが美しい。 その山並みも、遠く雄大なものから、近い里山までのグラデーションがある。 そして、それらに抱かれるように我々の「まち」や「暮らし」がある。 普段の暮らしの中で私が見ているこのまちの風景とはまた違う視点からの写真。 そういえば、大通りの拡幅事業がはじまって

        盆の周辺〜行事なのかイベントなのか〜

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        • 門前日誌 -見る、言う、聞く-
          203本
        • 日光の門前町、その文化に関するあれこれ
          13本
        • つぶやきアンプリファイヤー
          1本
        • どこかに身を置き、考えたこと。
          4本
        • しもつけ随想+
          5本
        • 毎月11日に綴る、震災と復興のこと。
          5本

        記事

          栗石返し〜社寺と門前町のつながり〜

          「栗石返し(くりいしかえし)」という清掃活動がある。 形式だけを捉えれば“清掃活動”ではあるが、どちらかというと“行事”に近いと私は思っている。 年に一回。ちょうどこのくらいの時期に行われる。 で、今年は先日(4/21)に実施されたばかり。 門前町の町衆が日光東照宮と大猷院(家光公御廟・日光山輪王寺)の境内を掃除する。この両社には「栗石(くりいし)」と呼ばれる拳大の石が敷かれていて、この間に溜まった杉っ葉(これは方言か?)やくずを取り除く作業を行う。 この栗石、地元で採

          栗石返し〜社寺と門前町のつながり〜

          祭りのあと

          ふぅ。 今年も春の大祭が終わった。 「日光弥生祭」という。 個人的には3回目の筆頭頭役を仰せつかって、なんとか“乗り切った”という感がある。 おかげさまで、という言葉が全てについてまわるようなものなのだが、その辺については長くなるのでまた別の機会にでも。 さて、 祭が終わってすぐ、用事があって東京と横浜へ。 この時に感じたことをtwitterにこう書いた。 前にも同じようなことを感じたと思う。 日光弥生祭。 様々なサイトの説明や、紹介されている書籍などには これと似

          石の上にも

          気がつけば、節目の年を迎えることになっていた。 二つある。 一つは、日光門前の東町地区で進む街路拡幅整備事業が着工から20年という節目を迎えること。 全体で6つの工区(※)があり、現在は4つ目。折り返しを過ぎたあたり、と言って良いだろう。 一つの工区に平均5年。 歩道は拡がり、電柱は無くなり、電線は地下へ。 特別な街路灯も設置された。 東武日光駅前からの眺めも大きく変わった。 (※今後の整備予定区間は当初予定されていた二つの工区が一つの工区として進行する可能性がある。)

          金谷ホテルの150年を俯瞰し、寿ぐ。

          昨年、日光金谷ホテルが創業150年を迎えた。 「現存する日本最古のクラシックホテル」という枕の通り、寛ぎと共に時間旅行を体験できる、まさに“日本を代表する”クラシックホテルだ。 今回、創業150年を記念して記念誌「金谷ホテル150年」が出版された。 #日経COMEMO #NIKKEI 150年、と聞いてどんなタイムスケールを想像するだろうか。 人それぞれだろうが、明治から大正、昭和、平成、という幾つもの激動の時代を経験して今なお生きた空間であることを考えると、貴重さが一

          金谷ホテルの150年を俯瞰し、寿ぐ。

          町裏の遊び場。

          《この記事は2023年の年末に書き始めるも、結局アップできず、今に至ります。恥。》 先日、年末というのもあって気忙しく車を走らせていた。(だがしかし、安全運転!) 近所の広い公園で7、8人の子供たちが元気に遊んでいる様子を見つけ、ああもう学校は冬休みに入ったんだな、という年末感と、自分も子供の頃よくここで遊んだな、というノスタルジーの二つでなんだかグッときてしまった。 この公園、昔は市営のグラウンドだった。今は防災公園として再整備されているのだ。 目抜き通りに対し、町の裏

          松の内も過ぎて

          年明けから、大きな災害や事故のニュースに胸が痛むことになった。しかも、毎日のように。 なんだか年が明けたような気がしなくなってしまったまま、「松の内」もあっという間に過ぎて行った。 何度も書いているが、日光の門前町は「祭(いのり)のまち」というまちづくりのコンセプトを掲げている。 信仰や祭りを語ると長くなるので、ザックリと申し上げると、これは年間を通して「祭り」が多い地域特性と、社寺ひいては山々への参詣と共に発展してきた門前町には「祈り」が集まってくる、という主に2点を鑑み

          3つのターニングポイントのうちの3つ目

          まちあるきガイドツアー「日光ぶらり」では、冒頭で日光の概略としてガイダンス的にお話することがいくつかある。 そのうちの一つが“日光のターニングポイントとなった時代”について。 大きく3つあるのだけど、そのうちの3つ目は今から約150年前の明治期のこと。 長らく続いた江戸・徳川幕府から明治の近代化へと進む中、日光がどうなったのか、というところ。 江戸初期以降は「徳川幕府」の象徴たる存在だったことは、言うに及ばす。 それがどれだけ手厚く守られてきたかということも想像に易い。

          3つのターニングポイントのうちの3つ目

          ワーキンググループ、発展的解散。

          【発展的解散】 【第三次ワーキング発足へ】 「日光東町ワーキンググループ」というまちづくり組織がありまして。 自治会長(町内会長)さんたちの組織「東町まちづくり推進委員会」にぶら下がった組織なのです。 ちなみに、東町(ひがしまち)というのは、概ねJR・東武の両日光駅から社寺前の神橋までの地域を指します。この中で各町内が分かれています。 これまで、第一次ワーキンググループ(2002〜2004)第二次ワーキンググループ(2012〜現在)と活動・議論を続けてきて、それぞれ規範の

          ワーキンググループ、発展的解散。

          特別な街路灯なのです。

          下書きまで書いて、滞る。 その繰り返し。 これはいかんということで、久しぶりの #門前日誌 を。 ご存知、龍の街路灯。 新しく拡幅された大通りの区間に立ち並んでいる。 この街路灯、プラン中には紆余曲折あったと聞くが、最終的には住民の意見が反映された形になったそうだ。 当時の熱意と、それを受け止めてカタチにした行政のやる気と知恵も感じ取れる。 最初の工区(松原町)が終わって、除幕式を開催したのが2009年なので、早14年。 除幕式アーカイブ↙︎(他の写真はこちらから)

          特別な街路灯なのです。

          今回も記事掲載いただきました。感謝。 #門前日誌 引き続きどうぞ宜しくお願いいたします。 . https://www.shimotsuke.co.jp/articles/-/777892 . https://note.com/kouyatakahashi/m/m63497cb07a69

          今回も記事掲載いただきました。感謝。 #門前日誌 引き続きどうぞ宜しくお願いいたします。 . https://www.shimotsuke.co.jp/articles/-/777892 . https://note.com/kouyatakahashi/m/m63497cb07a69

          いのりの足跡

          船禅頂に初めて参加した。 “日光開山の祖”として知られる勝道上人(しょうどうしょうにん)は、船で湖畔の霊場を巡って修行の祈願をしたと言われる。 これが現在まで続く。 8月4日、天気良好。(出発時は) 僧侶はボートで。参拝者はフェリーでそれを追う。 中禅寺湖の湖上の風に、響く読経。半島や島をめぐる。 (知らなかった霊場もあった) 男体山の頂からの美しい稜線。広大な湖水と繁る樹々の蒼。 このロケーションを感じること、また、自然から受けるものを感じ取ろうとすることについては、

          最近のつぶやきから20230627

          twitterでぶつぶつ言っていることを少し掘り下げてみよう。という。 それだけの記事である。 ↑これはもう何年言い続けていることやら。 こんなことをぶつくさ言っていてもはじまらないのだけども、でも、「だから、今辛い」という状況はアルアルで。 しかし、これは裏返せば逆手に取れるということでもある。笑 ただ、それにもまた経験は必要になるわけで。 結果的には、コツコツ積み上げた信頼やら実績に勝るものは無いという平易なもの。 けど、それを評価して、話を聞いてくれる人こそ大切にすべ

          最近のつぶやきから20230627