観光と地域の暮らしの交差するところ
毎日、大通りを見知らぬ人が通る。
その事実だけを取り出したら、極めて「都市的」というか「都市部のよう」ではある。
けれども、その実は小さな町。
人口も減って、例に漏れず高齢化も辿っている。
この、冷静に見たらアンバランスな状況の中、大きな期待を持って訪れる人がたくさんいる。
期待はその地域の環境や暮らしにリスペクトを持ったもの、憧れを持ったものもあれば、刹那の欲を満たす「消費」に近いものもあるだろう。
その人の中にしかないものなので、それらは判別はできないだろう。所謂、自己申告性のもの。
しかし、その申告はせずとも自ずと「行動」となって現れるのが観光の現場。
それを毎日受け止めるのが観光地の宿命でもある。
宿命と書くと大分重い。
変えようの無いものにうつる。
しかし、本当にそうだろうか。疑ってかかる必要はありそうだ。
観光客と観光地の双方の幸福はどこにあるか。
簡単な答えはなく、明日効く薬も無い。
非効率の極みのような問いかもしれない。
明日に向けて、団子の一つ、プリンの一個でも売る準備をした方が良いのかもしれない。
でも。だがしかし。
「観光」にもそうした問いと哲学が必要だ。
観光は殊に、プロモーションとアクションに寄りすぎる。
伸び縮みの町は、毎日「交差」も生み、一見は上手くいっている。
いや、正確に言うと、なんとかなっている、のである。
いつ、なんともならなくなるかはわからない。
刹那の中にある観光地は、「賑わい」を目的に今日も明日も不思議なことが色々起きるのだ。
肝は交差の具合、バランスを考えることだろう。(了)
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