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2021年 霧中の旅 / しもつけ随想01

 “伸び縮み”の激しいまちだと、あらためて思う。
 日光の社寺の門前町。その街道沿いに生まれ育った。新緑や秋の紅葉の時季はハイシーズンと呼ばれ、車やオートバイ、人であふれかえる。東京の繁華街が毎日お祭りをしているように例えられるが、観光地のハイシーズンも同じだろう。

 一方、その裏側ともいえる、静かで穏やかな顔をのぞかせる時季や時間帯もある。幼い頃、祖父に手を引かれて散歩をした門前町は、どちらかといえば静かなまちだった印象が強く、お祭り騒ぎの観光地とは別の顔を見ているようだった。そんな“伸び縮み”の風景を常に見つめてきた。活況と閑散のコントラストが強く、「伸縮性」が常にセットなまちなのである。

 近年では、往時の団体旅行から、個人などの小人数での旅へトレンドも徐々にシフトし、さらに、国外からの観光流入、いわゆるインバウンド(訪日外国人客)にも大きな力が込められ、国全体が「観光」に夢と希望を託していた。そんなある種の熱狂の中にあった風景も、コロナ禍で1年以上が過ぎた今では懐かしくさえ感じる。感染症は都市部だけでなく、観光地の風景をも一変させた。

 そんな中、自分たちにできることを、と、6年ほど前からNPOやまちの仲間と共に、まちあるきガイドツアー「日光ぶらり」というものをやっている。日光と言えば、真っ先に社寺の荘厳や奥日光の自然の雄大さをイメージする方が多いと思うが、我々は日光の門前町に焦点を当てたコースとテーマで催行している。
 これには「旅をほんの少し“深い”ものにするお手伝いをしたい」という思いがあった。深い、というのは「学ぶ」というより、「興味の入り口を多く作る」とか「楽しみ方の幅を広げる」とか、そんなイメージに近い。例えば、神橋をスマホで撮影する方々のうち、何割の方があの橋の伝説をご存じだろうか。お土産に買っている日光羊羹(ようかん)の起源や、お祭りを中心とした門前の町衆の暮らしぶりはご存じだろうか。
 小さな取り組みだがお客さまの満足度は高く、歩きながらまちの深みをご紹介する意義はあると感じている。

 ただ、そんな小さな取り組みを含む「観光」は、災害や感染症、その対策や号令でいとも簡単に吹っ飛ぶ。コロナ禍で身に染みた。
 事態の収束が見えぬ中、夢も希望も失ってはならないが、特に「観光」においては冷静な議論も必要だろう。熱狂の中、地域住民の暮らしが押し出されるような構図が本来の姿なのか。

 「観光」の名の下、おのずと観光客向けの事業や企画が多くなるが、大切なのはその足元にある地域の「暮らし」や培われた「文化」ではないか。長期的な視点では、刹那的で無責任なプロモーションの繰り返しはむなしいし、観光客流入の適正量というものも意識されるべきだろう。

 夢中のうちに、気づけば霧の中にいる。

 “伸び縮み”にいつまで一喜一憂せねばならないのだろうか。祖父と歩いた静かなまちを、今のコロナ禍のまちに重ねながら、モヤモヤと戸惑いの中、街道の往来を眺めている。

しもつけ随想_okai_01

[2021/07/28下野新聞掲載]

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