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栗石返し〜社寺と門前町のつながり〜

「栗石返し(くりいしかえし)」という清掃活動がある。
形式だけを捉えれば“清掃活動”ではあるが、どちらかというと“行事”に近いと私は思っている。

年に一回。ちょうどこのくらいの時期に行われる。
で、今年は先日(4/21)に実施されたばかり。

門前町の町衆が日光東照宮と大猷院(家光公御廟・日光山輪王寺)の境内を掃除する。この両社には「栗石(くりいし)」と呼ばれる拳大の石が敷かれていて、この間に溜まった杉っ葉(これは方言か?)やくずを取り除く作業を行う。

この栗石、地元で採取したものだそうで、どうやら大谷川と鬼怒川の合流地点あたりのものらしい。
なぜ拳大の大きさのものなのかというと、雨の多い日光にあって、木造の建築や彫刻類を傷めないように湿気の抜けを良くするためらしい。
確かに、全国の代表的な社寺は細かい砂利が敷かれている印象的の方が強い。
かつての「作り手」の土地も気候も、環境条件というものを見極める力をあらためて感じざるを得ない。
また、一部の堂者引きの方々の解説などでも紹介されるように、この拳大の石は防御の役割もあったのではないか、つまり最終手段として投石の際に用いられるようにも考えられていたのではないか、という推測もある。
確かに、日光山が城塞のようにも見えるし、神橋の麓に板垣退助像があることで、実際に幕末に何があったかはここに書かずとも…。

閑話休題。
「祭(いのり)のまち」を標榜し活動を続けている。
実際に、祭の終わりは次の祭のはじまり、という感じで、毎月のように祭がやってくる。
そんな中にあって、この清掃奉仕は一際社寺と町衆のつながりを感じるものだ。

例えば、東照宮の境内はこんな風に町内ごとの割り当てが決まっている。

朝の境内は実に爽やかなものだ。
一般の開門時間よりもはるかに早く入ることができる。
そして、通常は立ち入れない場所での清掃活動の場合もある。
これらはまさに役得でありご褒美でもあるといえる。

例えばこの辺の彫刻は、一般拝観ではここまで直近で見ることはできない。

開門時間を過ぎると、一般の拝観のお客様も入ってくる。
多くの人は、町衆総出の清掃活動を珍しく見ている。
近くの警備員の方に色々訊ねている人もしばしばいる。

脈々と続くこの清掃奉仕行事は、日光の特殊性を示す一つだろう。
(あ、清掃云々はずっと表記が揺れていたが、ついにこの表現になった。笑)

社寺あっての門前町であり、その逆も然りなのである。
(後半部分大切!)

同じ体勢の作業が続き、途中で背中や腰を伸ばしたり、水分を補給したりしながら数時間。
爽やかな朝が過ぎる。

「観光」という言葉が、どうも表層的にうつる。
日本は特に、まだまだ。
地元の暮らしと観光資源と呼ばれるものの接点がこういうところにある。
興味を持つ人は、「観光地」が思うよりも多く、今後もこういう部分がクローズアップされるのではないかと思う。…漠然と。

さて、良い季節になってきた。
来月も、再来月も祭が続く。

NPO法人日光門前まちづくりnote部 | 岡井 健(世話人)

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