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門前日誌 -見る、言う、聞く-

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NPO法人日光門前まちづくりnote部が運営する「門前日誌」です。日光門前にまつわる「暮らし」について、各々の視点で綴ります。
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#まちづくり

街並みに関する駄文散文

トップ画像の箇所、道の蛇行がなんとも趣を深めている。 日光門前の中鉢石(なかはついし)のあたり。 このあたりは、画像左手の山の斜面を開削して道を通している。江戸期のこと。 自然地形に"沿わなければならなかった"風景ともいえる。 道路の機能として言うならば、効率が良く、生産性が高い"真っ直ぐ"にはならなかったもの。 できなかった、と言う方が正しいか。 近い山から、道の奥の山々まで眺められ、道が「日光の社寺」に向けて蛇行しながら登ってゆく。 道に張り付く建物は比較的落ち着いた

門前町は大自然への扉

6月末、久しぶりに奥日光へ。 町内のハイキングに参加し、湯の湖から湯滝、湯川沿いを歩き、光徳まで。 ああ、湯元の源泉はこんな香りがしたっけ、とか、湯の湖畔はこんなに静かだっけ、とか、湯滝はこんなに壮大だったか、とか、湯川の周辺の環境は上手く言葉に表せないほど素晴らしいな、とか。 あらためて体感と実感の中歩いた。 様々な技術が発達しても、体感、経験、実感を超えることはない。 こうした自然の中に身を置くことについては、特に。 山、湖水、川、湿地帯。様々な条件が入り組んで豊かな

視点 / 角度

先日、一枚の画像をいただいた。 この写真は、出張で日光にいらしたゲストが宿泊先で撮ったもの。 5月のよく晴れた日。東武日光駅前から社寺にかけての大通り(メインストリート)と、門前町の向こうに日光連山のスカイラインが美しい。 その山並みも、遠く雄大なものから、近い里山までのグラデーションがある。 そして、それらに抱かれるように我々の「まち」や「暮らし」がある。 普段の暮らしの中で私が見ているこのまちの風景とはまた違う視点からの写真。 そういえば、大通りの拡幅事業がはじまって

栗石返し〜社寺と門前町のつながり〜

「栗石返し(くりいしかえし)」という清掃活動がある。 形式だけを捉えれば“清掃活動”ではあるが、どちらかというと“行事”に近いと私は思っている。 年に一回。ちょうどこのくらいの時期に行われる。 で、今年は先日(4/21)に実施されたばかり。 門前町の町衆が日光東照宮と大猷院(家光公御廟・日光山輪王寺)の境内を掃除する。この両社には「栗石(くりいし)」と呼ばれる拳大の石が敷かれていて、この間に溜まった杉っ葉(これは方言か?)やくずを取り除く作業を行う。 この栗石、地元で採

石の上にも

気がつけば、節目の年を迎えることになっていた。 二つある。 一つは、日光門前の東町地区で進む街路拡幅整備事業が着工から20年という節目を迎えること。 全体で6つの工区(※)があり、現在は4つ目。折り返しを過ぎたあたり、と言って良いだろう。 一つの工区に平均5年。 歩道は拡がり、電柱は無くなり、電線は地下へ。 特別な街路灯も設置された。 東武日光駅前からの眺めも大きく変わった。 (※今後の整備予定区間は当初予定されていた二つの工区が一つの工区として進行する可能性がある。)

松の内も過ぎて

年明けから、大きな災害や事故のニュースに胸が痛むことになった。しかも、毎日のように。 なんだか年が明けたような気がしなくなってしまったまま、「松の内」もあっという間に過ぎて行った。 何度も書いているが、日光の門前町は「祭(いのり)のまち」というまちづくりのコンセプトを掲げている。 信仰や祭りを語ると長くなるので、ザックリと申し上げると、これは年間を通して「祭り」が多い地域特性と、社寺ひいては山々への参詣と共に発展してきた門前町には「祈り」が集まってくる、という主に2点を鑑み

ワーキンググループ、発展的解散。

【発展的解散】 【第三次ワーキング発足へ】 「日光東町ワーキンググループ」というまちづくり組織がありまして。 自治会長(町内会長)さんたちの組織「東町まちづくり推進委員会」にぶら下がった組織なのです。 ちなみに、東町(ひがしまち)というのは、概ねJR・東武の両日光駅から社寺前の神橋までの地域を指します。この中で各町内が分かれています。 これまで、第一次ワーキンググループ(2002〜2004)第二次ワーキンググループ(2012〜現在)と活動・議論を続けてきて、それぞれ規範の

特別な街路灯なのです。

下書きまで書いて、滞る。 その繰り返し。 これはいかんということで、久しぶりの #門前日誌 を。 ご存知、龍の街路灯。 新しく拡幅された大通りの区間に立ち並んでいる。 この街路灯、プラン中には紆余曲折あったと聞くが、最終的には住民の意見が反映された形になったそうだ。 当時の熱意と、それを受け止めてカタチにした行政のやる気と知恵も感じ取れる。 最初の工区(松原町)が終わって、除幕式を開催したのが2009年なので、早14年。 除幕式アーカイブ↙︎(他の写真はこちらから)

いのりの足跡

船禅頂に初めて参加した。 “日光開山の祖”として知られる勝道上人(しょうどうしょうにん)は、船で湖畔の霊場を巡って修行の祈願をしたと言われる。 これが現在まで続く。 8月4日、天気良好。(出発時は) 僧侶はボートで。参拝者はフェリーでそれを追う。 中禅寺湖の湖上の風に、響く読経。半島や島をめぐる。 (知らなかった霊場もあった) 男体山の頂からの美しい稜線。広大な湖水と繁る樹々の蒼。 このロケーションを感じること、また、自然から受けるものを感じ取ろうとすることについては、

奥日光の中禅寺湖畔で考えたこと

休日。 奥日光へふらりと。 「ふらりと」と言う表現は、途中いろは坂が待ち構えている行程に相応しいかどうか。でも、車で2~30分で天空の湖畔に到着するのだから、表現としてはまあ良いのかな。 来るたびに、この自然環境の中に社寺と門前町があるということを再認識する。 ダイナミズムと信仰。 人はかつて、この自然の中に親しみや喜び、感動の他にも畏怖も見出したのだろう。 自然環境、風景から受ける印象やそれを起因とする心の動きによって住環境がかたちづくられる。 住は即ち生業。生業は町を

永い永い冬の終わり #日光門前に暮らす #93

高橋広野です.日光に春の訪れを告げる祭り「弥生祭」が,コロナを経て4年ぶりに開催されました.16日は宵祭,17日は付祭が執り行われ,両日とも町がにぎやかな雰囲気に包まれました. ぼくにとっては人生で二度目の弥生祭でした.5年前,修士研究の初めに来た時とは違って,今年は住んでいる稲荷町をお手伝いする立場として参加しました. この祭りには,遠方から知り合いが何人か駆けつけてくれ,初めてみる日光に嬉しい言葉を残していきました. こうした言葉でハッとしたのが,僕自身も初めて日光

石と木の文化 -石編-

またまた久しぶりになったマガジン「門前日誌」への投稿。 年度も新しくなったので、気持ちも入れ替え?投稿してみようと思った次第。 我ながらつくづくルーティンが不得意な気質を嘆いている。 さて、“カタチに見える日光の特徴”を考えてみている。 以下、メモがわりに綴りたい。 石と木、だ。 これは、日光に限ったことではないのだけれど、整理して細部を考えると、特殊性、固有性が見えてくる。 それで、今回は石について。 日光の石の主なものは安山岩だ。 ・土木技術への活用:稲荷川や大

縁(よすが)となるもの

辞書には、こうある。 縁、因、便とも書くそうだ。 NPO法人日光門前まちづくりは、設立から15年を迎えた。 「1.5昔」だ。あるいは、「一昔半(ひとむかしはん)」ということか。 この15年の間、様々な活動を通じた学びが多かった。 活動の契機はハード整備にあったが、「日光門前」という地区を主な対象にした、エリア型で、テーマは絞らずに色々やってきた。 そして、ここ数年思うのは、「規範があってよかった」ということ。 「規範」とは、「日光東町まちづくり規範」のこと。 NPO

夜の賑わいが恋しいか?

コロナ禍でこれだけの期間、「まち」が萎んでいる状況を見ていると、どこか感覚が麻痺をするようだ。 日光の門前町の夜の賑わいづくりについては、若い層で集まるたびに話題に上がり、大きな課題だと皆考えていた。 これは、観光の視点でも、地元の暮らしの視点でもそこに辿り着いた。 コロナ禍で、酒類の提供を伴う飲食の制限(これは正確には自粛だが)が目立った。 夜の街の賑わいが戻って欲しいともちろん思うのだが、そして、あれだけ熱弁を振るっていたのに自分が不思議でしょうがないのだが、この頃は静か