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石と木の文化 -石編-

またまた久しぶりになったマガジン「門前日誌」への投稿。
年度も新しくなったので、気持ちも入れ替え?投稿してみようと思った次第。
我ながらつくづくルーティンが不得意な気質を嘆いている。

さて、“カタチに見える日光の特徴”を考えてみている。
以下、メモがわりに綴りたい。

石と木、だ。

これは、日光に限ったことではないのだけれど、整理して細部を考えると、特殊性、固有性が見えてくる。

それで、今回は石について。
日光の石の主なものは安山岩だ。

・土木技術への活用:稲荷川や大谷川などの砂防堰堤への活用、江戸期の百間石垣(七里地区)での活用、神橋の橋脚、など

・建築への活用:安山岩を使用した建築(日光真光教会、西洋料理明治の館(旧ホーン邸)など)、門前の各建築の礎石、日光東照宮の造営・造替の際の仮小屋の礎石、など

・石垣や石段としての活用:社寺や山内地区の石垣や石段、門前の各敷地の石垣、門前大通りの石段(道路部分については現存せず)

・暮らしと密接した土木技術への活用:西町の石升(明治・大正期の簡易水道)

・祈りの形:石仏、石碑、小祠、石の護摩壇、鳥居など

・その他:各家々に残る水鉢、蹲(つくばい)、安山岩の墓石

ざっと挙げただけでも、こんなにある。

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前述したように、日光に限らずどこの都市や農村でも地場産の石材の活用は重要だったろう。
しかし、文中の太線で示した箇所については、日光の固有性を特に表しているものではないかと考える。

日光の山々から噴き出したものが、時に水や風雪に磨かれ、年月をかけて最終的にまちの文化になっている。

石工の町として「石屋町」の名前が現在でも町名として残っている。
「石工が仮小屋を建てていた場所」という言い伝えもあれば、「石工の頭・坂本甚右衛門が屋敷を構えたことによる」という話もある。
はたまた、現在の場所に移転する前の山内では「石丁(こくちょう)」と名乗っており、これは石=穀で、米を扱っている者が住んでおり、そこからの町名かもしれない、という説もある。
私は前者2つの石工に関わる町名であることが濃厚だと思っている。

まちなかの文化には、近隣地域の大谷石の文化も入ってきており主に蔵として現在もその姿を見ることができる。
ごく一部ではあるが、同じく近隣地域の板橋石も見ることができる。

石に刻まれた、まちの生業。

石に託された、当時の人々の思い。

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現代の忙しい暮らし、利便性に押された家並みの裏には、実は、そんな風景がたくさん隠れている。
そういうものをもっともっと掘り起こして、調べ、伝えたいと思っている。

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ちなみに、トップのカバーに使用したのはある武家屋敷の礎石と下見板。改修のタイミングで拝見したのですが、お見事でした。

NPO法人日光門前まちづくりnote部 | 岡井 健(世話人)

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