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【書籍紹介】『完本 文語文』(文春文庫)山本夏彦 著

山本夏彦『完本 文語文』を読みましたので、紹介します。
日本語のあり方について書かれた本です。

明治以降、日本が西洋化するに伴い、文語が失われ、口語に移って行ったことを著者は述べます。その上で口語の欠点を指摘します。
山本氏は口語の欠点として、リズム感の欠如、暗誦に堪えない点を挙げています。これに対し、文語はリズムがあり、暗誦しやすいことを説明します(そのぶん、歴史が長いせいで文法が固まっているため、類型的な表現に堕しやすいという欠点も認めています)。
かつては口承で言葉が伝わっていたのが、次第に本を黙読する習慣ができたために、話し言葉である口語が重視されるようになりました。そのせいで耳に残らなくなっていったこと、旧字体を改めてしまった影響で古典文学を注なしで読めなくなってしまったことなど、様々な弊害が発生したことも見逃していません。
語彙の消滅についても嘆き、たとえばトイレをかつて手水場と呼んでいたのに、現在ではその呼び名がすっかりなくなったことなどですね。
昔は暮らしの中に文語や漢文がありましたが、暮らしがすっかり変わってしまった現在、その意味がわからなくなっていることも述べています。核家族化はすでに完了し、そうした語彙の伝承も行われなくなり、語彙はどんどん乏しく、貧しくなっていることを嘆いておられます。
これはその通りですね。

他にも、樋口一葉がなぜあの若さで名文を生み出すことができたのか、という問いに対し、
「あれは一葉ひとりが書いたのではなく、千年来の歴史が書かせたのだ」と答えているのが興味深かったですね。要するに、歴史の中で培われてきた語彙や文法を一葉が学んで修得したからこその名文なのだと。しかし、明治維新、関東大震災、戦災によってそうした過去とのつながりが断絶されてしまった…というわけです。
私は詩をいくつか寄稿していますが、自由詩はしがらみなく作れる反面、リズムがバラバラで印象に残りにくいなあ、と感じていました。しかし、文語体で作るとやはり読みやすくなるんですよね。
文語と口語の違いについて鋭く分析した非常に興味深い本でした。

それと山本氏は旅行に行かないらしく、その理由が、
「学問がない者が旅行しても得られるものがないから」
だそうです。辛辣ながらも本質をついていますね。私も紀行文をいくつか投稿しましたが、文才や知識が不足しているせいで、出来栄えがいまいちだと感じていたので、心に響きました。近年ではSNSで自己顕示欲を発露させるために旅行する人も増えているでしょうから、山本氏のこの金言は現代でこそ顧みる価値があるといえるでしょう。

図書館で借りた本なので今は手元にないのですが、買って読みたい本だと感じました。日本語のあり方について鋭い指摘が光る名著だと思います。私も「三十過ぎても彼氏と彼女」の貧困語彙を嘆くひとりなので、日本語のあり方を再考する一冊として再読しようかと考えています。
興味のある方は読んでみてください。

紹介は以上です。
お読みいただき、ありがとうございました。

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