見出し画像

【連載】第6次本州紀行~苫小牧→名古屋→大阪→敦賀→苫小牧~第10話(最終回)「帰郷」 北海道帰還編※ホテル禁止

北海道帰還編「帰郷」

さあ、目覚めだ。天気は悪くない。ただこの船、展望デッキがあまり広くないので、その点が少し残念だ。
深夜便なので太平洋フェリーより人が少ない。つまり、朝食のアタックチャンスだ。時間さえずらせば問題なく食べられる。せっかくなのでご当地グルメ、越前そばを注文する。硬めの麺で、歯ごたえがあって美味しい。知名度に恥じない郷土料理だ。
食後は本を読んだり、前面展望を眺めたりして時間を過ごす。一応映画上映と演奏会をやっていたが、行きのフェリーと大阪でひとぎらいの気持ちが起こっているため、読書に時間を費やす。
とはいえ、人は書のみにて生きるにあらず、だ。
せっかく運動マシンがあるのだから使ってみることにした。
コードレス仕様で、負荷を自分で調整できる。消費カロリーは数字でなく、コーヒー1杯ぶん、バナナ1本ぶん、などのように食物のデジタル表示で視覚的にわかるようになっている。人によっては数字より実際の食べ物のほうがわかりやすいかもしれない。
こういうランニングマシンはしばしば退屈になりがちだが、船の上では海を眺めることができるので、多少は退屈が紛れる。もっとも、海もずっと眺めていると退屈に襲われるだろうけど。まあ、運動設備がなかった行きの船よりは身体に悪影響が出ずに済みそうである。

夕食開始。新潟の笹団子と敦賀ラーメンを注文。なかなか美味い。ご当地料理が食べられるのは評価すべき点で、全国チェーンのビジネスホテルにおける、よくわからないバイキングよりは風情が感じられると言えよう。
20:30苫小牧東港に入港。辺りには何もない港で、西港とは雰囲気が全く違う。

苫小牧東港フェリーターミナル

すでにバスが到着しており、徒歩組が乗り込む。全部で12人くらいだろうか。旅に出る前はてっきり私一人だけかと思っていたが、意外に多かった。料金は1320円で、前払い制だった。慌てて財布からお金を取り出す。
行き先は南千歳駅で、途中停車駅はない直行便だ。ちなみに最終の特急とかちにも乗れるようになっている。
ちなみにこのバスは事前予約が必要なので、その点だけ注意しよう。
車内は一気にローカルムードに様変わりし、ふるさとに帰ってきたという実感が湧く。といっても、自宅はまだまだ遠い。油断せずに行こう。

南千歳駅に到着。快速エアポートに乗れば札幌に直行できるが、騒々しく旅情のない快速に乗る必要はない。普通列車で充分だ。まあ快速通過待ちを強いられるが、慣れているので問題ない。映画『ターミナル』でもそうだったが、私は「待つ」のだ。ただ一人時が満ちるのを。
乗客は殆ど快速に流れるため、普通列車は閑散としている。
新札幌駅に到着。ここで降りる。始まりの場所だ。ついに戻ってきた。
さあ、後は手持ちのきっぷと徒歩で帰ろう。

まだ歩くのかって?
心配ない。合計60時間船に引きこもっていた私だ。身体が運動を欲している。その声に耳を傾けるだけさ。どれだけ交通手段が発達しようとも、すべての旅の基本は「徒歩」にある。その原点に帰るだけの話。何も難しいことじゃない。
それに、なまった感覚を取り戻しておかなきゃいけない。乗り物に乗っているだけでは身体感覚が失われてしまうからね。
さあ、帰ろう。
自分の足で家路へ。
いつの日かまた旅立つ、
その日のために。
(完)


おわりに

ということで、第6次本州紀行、ここに完結だ。壮大な旅だったが、無事に終えることができた。安全運行に努めてくれたすべての方に感謝したい。
最後に、蛇足となることは承知で、私が何のためにこの紀行文を投稿したのか、その目的を明かすことにしよう。もちろん、旅の記録を取るため、という目的もある。だがそれはあくまで表向きの理由だ。裏の目的がある。

結論から言おう。「紀行文の革新」が今回の目的だ。
鉄道紀行文の名手・宮脇俊三氏。この本州紀行シリーズでも何度か登場しており、私も彼の紀行文は楽しく読ませてもらっている。実際、彼の観察力や表現力は称賛に値するし、これからも読まれる作家だろう。それに比べれば、私の紀行文など素人丸出しの日記みたいなものだ。時代の洗礼を受けて後世に残るようなものではないだろう。
ただ。
ただ、あえて言わせてもらうが、宮脇氏の紀行文に問題がないわけではない。
一番鼻につくのは、東京目線での文章である。私が東京嫌いなのもあるだろうが、正直言って不快な記述も多い(まあ、私も人のことはあまり言えないが)。
そして、旅の起点もほぼ東京が起点になっている。実際に読んでいただければわかるが、上野発の夜行又は新幹線、もしくは羽田空港。彼の旅はだいたいこのどれかで始まる。東京に住んでいるからである。
地方に住んでいれば、別の駅や空港が起点になるはずだが、東京あるいは首都圏に住んでいると、上記の駅・空港が起点になりがちなのだろう。
もっと地方を拠点にし、地方生活者の目線で書いてほしかった、というのが私の率直な感想だ。
たしかに、当時は今より通信技術が発達していなかったので、リモートワークもなかった。だから、東京で仕事をせざるを得ず、どうしても東京起点になった、という擁護もできるだろう。私もそれは承知しているが、もし本気で地方を地方の目線で見たかったら、拠点を移してほしかった、と感じている。それによって収入が減ったり、生活が多少不便になることはあるかもしれないが、その程度は甘んじて受けるべきだろう。それは、東京の利便性を享受している者に東京一極集中を批判する資格がないのと同様である。

宮脇氏に限った話ではない。世の中の紀行文の多くが東京起点になっている。これも気に入らない。たしかに、東京は日本の首都であり、政治や経済の中心ではあるだろう。しかし、別に旅行の中心地である必要はないし、あるべきではないだろう。東京の人口が多いせいで鉄道もバスも航空機も、すべて東京を中心につくられているが、それは政治的な理由であって、個々の旅人には関係ない。だからもっと多くの旅人が、自分の住む土地を拠点・中心に紀行文を書くべきだ…それが私の考えである。
こういうことを書くと、儒教的価値観に支配されているこの国では、

「貴様のような素人に、大先輩宮脇氏を批判する資格などない!」

と噛み付いてくる輩が出てくるかもしれない。
だが、はっきり言っておくが、ある人物を尊敬・評価することと、その人を批判することは、何ら矛盾しない。私は宮脇氏を評価しているし、素晴らしい作家だと思っている。だが、それは彼を手放しで称賛することを意味しない。問題点は問題点として言っておかなければならない。批判というのは本来、ケチをつけるという意味ではなく、吟味する、という意味だ。少なくともカントはそういう意味で使っている。日本では先輩を批判してはいけない、みたいな謎の風潮があるように感じるが、悪しき風潮である。そもそも、本当に優れた作品や思想なら、適切な批判が加えられてしかるべきである。科学において常に反証可能性が用意されていなければならないのと同様だ。

今回の私の紀行文を読んで興味を持った方はぜひ、ご自分の地元を拠点にあなただけの紀行文を書いてほしい。私がただ通過しただけの市町村にお住まいの方は、

「幸運の笛吹きとかいう人は通過しただけだが、こんなに素晴らしい資源がある!ぜひ立ち寄ってほしい!」とか、
「ふざけんなwww江別も札幌に近くて便利じゃねえかwww日本の中心は奄美大島だ!奄美王に俺はなる!」
「船なんていらん。泳いで行くわ。」
など、私の紀行文にアンチテーゼをぶつける形で紀行文を書いてみてほしい。大歓迎だ。
そうやってどんどん東京以外の土地から紀行文を書く人が増えれば、もっと多様性が生まれるはずだ。私が今回札幌を起点にしなかったのもそれが理由だ。北海道の紀行作家なら札幌か新千歳空港を拠点にするだろう。利便性が高いからだ。それが嫌だったから、私は新さっぽろや江別、岩見沢を拠点にしたのだ。札幌はあくまで道庁所在地・最大人口都市であって、北海道の旅人の中心ではない。これだけは断言させていただく。

そして、なぜ船、そしてホテル禁止というスタイルを選んだのか。
これも理由は簡単で、船を選んだのは速度・効率性を最高価値として振りかざす現代社会への痛烈な皮肉からである。沿線の風景や乗客の様子も旅の醍醐味なのに、ただ目的地に早く着けさえすればいい、という画一的な価値観はいただけない。新幹線や飛行機では旅行はできても旅はできない、といのが私の持論である。
宮脇俊三もあれだけ新幹線は旅情がないとか主張しながら、結局は新幹線に魂を売ってしまった。夜行がなくなったから、というのがその理由らしいが、はっきり言ってそんなものは理由にならない。本当に旅を楽しみたいなら、それを使わずに旅程を組むはず。便利だから使う、というのは結局、長いものには巻かれろ的な、悪しき日本の風潮に抗えなかったことを意味する。それでは真の旅人は名乗れない。私はそう思っている。

ホテルを禁止したのは宿泊費を浮かせたかったというのもあるが、これまでのチェーンビジネスホテル利用からの脱却、という意味も込めている。たしかにチェーンホテルは便利だが、所詮は大都市に本社を置いた企業で、そこに泊まっても地元にお金は落ちない。大都市に吸い上げられるだけだ。それでは何のために旅に行ったのかわからなくなってしまう。東京嫌いの私が、東京に塩を送るような真似をしてどうする?というわけだ。腹ただしい一極集中を打破するためには、地域に根ざした宿に泊まるしかないが、土地勘がないため、探すのも面倒。ならば、一巡目は冒険に徹しよう。泊まるのは次回でも良い。まずは行ってみるだけ。だから、移動に多くのリソースを割き、宿泊を選択しなかった。

…というのが、この紀行文を投稿した理由だ。要は、画一性と一極集中への抵抗である。今回の旅で私も課題を抱えることになったが、大きくレベルアップできたのではないか、と思う。実際、40時間の船旅を遂行したのは大きな自信となった。まだまだいろんなところに行けそうである。工夫して新たな旅に臨みたいものだ。
さて、長くなりすぎたのでこのへんで終わりにしよう。
話の長い奴だ、と嫌われかねない(もう嫌われてるかwww)。

それでは、今回の記事は以上です。
旅人に光あれ。
ご精読、本当にありがとうございました。

興味を持った方はサポートお願いします! いただいたサポートは記事作成・発見のために 使わせていただきます!