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週末に生まれる「余白」こそが圧倒的な集中力を生む

土日のほうが仕事に集中できるという不思議。デスクワークならなおさら。プレゼン用の資料を作成したり、インタビュー記事を書いたり。平日に比べその集中度合いと効率の良さと生産性の高さときたら。

フリーランスの身なのでサラリーマンのように土日祝休みという規則はない。しかし、朝の忙しさのなさと静けさ、世間的な空気の緩さに気持ちが引っ張られることもあり、なるべく仕事は平日に固めて土日は休むようにしている。

朝の通勤ラッシュもほとんどないため車や人通りも少ない。早朝ランニングをしたい身としては土日や祝日の朝はトレーニングに最適な環境。そういうときこそ1〜2時間、距離にして10〜20kmは走りたいので、となると土日はなるたけ仕事をスケジュールから排したい。

ただ、どうしても平日のどこかをフリーな時間に当てたいというときもある。そういうときは平日空けた分の埋め合わせを週末のどこかで行う(たごくたまにその必要がないほど生産性を爆発させ土曜になる前にタスク消化を達成することもあるが)。どこか職場に出勤することも、在宅勤務だからといって誰かに管理されることもなく、仕事の時間や曜日を自由に変えることができるのはフリーランスの強み。

スケジュールの調整や平日サボりすぎたことにより土日に仕事をすることもままある。世間的な緩い空気に引っ張られることで仕事もルーズになる……かと思いきや、これが実際のところ平日より集中して仕事ができるのだ。

いや、確かにかつては土日にする仕事もルーズにやっていたと思うのだが、ここ1年くらいは事態が異なる。一つの作業に集中して取り組める時間が圧倒的に違う。平日とほぼ同じ作業をしていようが、スマホに気を取られたりネットサーフィンをする回数やその時間が少ない。ちゃんと仕事に打ち込んでいる感がある。実際、○時までにこの記事を書き終える、と決意すると若干の誤差はありつつもほぼ決めた通りの時間で終えることができるのだ。これ、平日作業のときはなぜか難しい。

なぜ土日のほうが集中力やそれに比例した生産性も高まるのか。
おそらく、平日のような緊張感がないからだろう。え、緊張感があるからタスクを処理していこうと効率よくやれるのではないのか、という疑問があがりそうだ。しかし、何かを迫られるプレッシャーのなかでは常にそちらが気がかりになり、集中力が途切れる。そんななかで着信や通知があれば余計意識が散漫となりやすい。それまで取り組んでいたことは別の思考に支配されて、また振り出しからのやり直し。頭の状態を元に戻すのは本当に体力がいる。

多くの企業や官公庁が休みである土日なら、着信や通知が来ることなど滅多にない。スラックなどのチャットアプリも大人しい。なので誰かに急かされることもない。また、月曜日にならないとどうせ連絡がつかない、返信が来ないという状況も心に余裕を持たせる。今、確実に終わらせる必要はない。月曜までに提出できていればいいのだ、などと気持ち以外にも時間の余裕が生まれる。絶対に今終わらせなくてもいいよな、という安心感がかえって目の前の作業にのめり込む余裕をつくっている。

また、そもそも土日に仕事をしたくない、どこそこ行きたい、という思いも仕事に集中できる一つの理由だと思う。夕方までには終わらせてカフェで一息つきたい、飲みに出かけたい、ランニングに行きたい。そんなふうに毎回思うのでそれまでになんとか仕事を終えるべく集中する。

先に書いたように、土日は平日に比べて集中を阻害する要因が少ない。そんな環境なもんだから一気に終わらせることができる。仮に設定時間までに終わらなくても、土曜日なら明日はまだ世間は休みだし余裕がある、と潔く作業を止めて遊ぶことができる。たとえ夜遅くまでやっていても次の日爆睡していられる、油断して過ごしていられる、と余裕を持って過ごすことができる。

あと、総体的にみれば、そもそも世間が休みなので空気がせかせかとしていない。そして空気に流されやすい自分自身もだいぶ緩やかな精神状態で朝から過ごすことができている。だから土日だけはなんだか器が大きいというか、心に余裕と隙間と余白がある状態だ。だからこそ生産性高く仕事をこなすことができるのではないか。

ということはだ、明日からはじまる平日も、こんな心の状態で迎えることができれば雑念が湧くこともなく、ネガティブな感情に流されることもなく、思考も研ぎ澄まされ、ゾーンに入るくらいの集中力を発揮して仕事に取り組むことができるのではないか。

結局のところ、集中できて生産性も高い仕事を可能とするのは「余白」なのかもしれない。



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