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問い掛け

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問い掛け-メモ

遺品より。「問い掛け」の時系列等メモされています。今の所続きは見つかっていません。一旦更新はここで終了します。ご覧いただきありがとうございました。

スキャニング:W様

「問い掛けクロニクル」(平成26年・死刑囚の表現展出品)たぶんご自身の生涯を表現した作品。

問い掛け-22?<熱血先生>

※遺品より。おそらく前回の続きです。途中で終わっていて、今のところ他の続きは見つかっていません。

スキャニング:W様

問い掛け-21<マンモス校での五カ月間>

<マンモス校での五カ月間>

 二度目の転校先は、各学年が六クラス以上もある宇部一のマンモス小学校と分かり、驚いた。

 登下校の人の多さに圧倒され、特に月曜の朝礼は、校庭を埋め尽くす生徒たちの頭の数には、壮観の一言としかいいようのない景観を体験した。

 担任の女先生は、生徒の個性を引き出すのが上手で、常に一歩先を読んでいるかのような鋭い指摘と、心の中を見透かしているかのような清らかな眼光が印

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問い掛け-20<辞職、転校、そして引っ越し>

<辞職、転校、そして引っ越し>

 小学五年の一学期が終わる頃、養父は、上司との喧嘩がキッカケで勢い余って辞表を出す顛末となり茫然自失。

 犠牲者はいつも養母と私だった。

 急遽、七回目の引っ越しが始まった。 ところが転職先はもちろん引っ越し先の目当てが全く無い。養母は養父のそんな身勝手な判断に対し、このときばかりは怒り心頭に発し、何日も喧嘩が続き、結局、山口へ引き返すことで治まった。

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問い掛け-19<友達の夭逝>

※「K君」と「k君」は別人です。本人の書き方そのままにしてあります。

<友達の夭逝>

 四年生の頃からは特に上級生とも仲が良く、六年生と遊んでいた。その一人は博士と異名を取る医者の息子、K君。もう一人は、足の悪い身障者のk君だった。Y君のお父さんと養父がひょんなことで家族同志の付き合いが始まり、k君の存在を知ることになった。彼は、漢字をよく覚える努力家で秀才だった。

一方、博士ことK君との

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問い掛け-18<お巡りさんのご褒美><雨ニモ負ケズ>

<お巡りさんのご褒美>

 小学四年になった。僅かであれ社会への視野も広がり、小さな自我も芽生え、自己の可能性に挑戦できる、そんな自意識が育まれる大切な時期が、この頃ではないだろうか。

 養母にときどき頼まれる買い物のおつり銭だけが私の小遣いだったためか夏になるとカブト虫やクワガタ虫を獲りに行き、友達に売って小遣いにしていたことがある。

 殆んど毎日、早朝か昼休みの時間に近くの林へ行き、誰

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問い掛け17-<先生とのお別れ会>

<先生とのお別れ会>

 K先生が他の学校に転勤になると報らされ、クラスの女の子たちがお別れ会をすると騒ぎ出し、ホームルーム時、教室でお別れ会を催すことになった。

 そして後日、七人の生徒が先生の自宅に招かれ、なんと男子生徒では私一人。あとは女子ばかりで、何故か、妙な感じがしないこともなく、複雑な心境になり、戸惑いと嬉しさのなかで、己れを鼓舞し、どうにか先生宅まで辿り着く私だった。ひょうきん者で

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問い掛け-16<喪失した記憶とリンクするベストセラー>

<喪失した記憶とリンクするベストセラー>

 この頃の私は、特に好奇心旺盛な小学三年生で、何んにでも興味を抱き、見るもの聞くもの全てが楽しくて堪まらなかった。テレビから得られる情報は光も大好きだった。因みに養母はプロレスが大好きだ。

 ところで、五歳以前の記憶を殆ど忘れてしまった私は、幼稚園に通っていたことさえ忘却の彼方へと押しやってしまった。学校のアンケートに園名が記入できずに困ったことがあ

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問い掛け-15<タマの死と出生の謎>

<タマの死と出生の謎>

 或る日、タマが真っ白なメス猫を連れて帰って来た。タマは自分の餌をメス猫に与え、 隣りに坐り私たちを見上げてニャーと一鳴く。メス猫が食べ終わるまでどうか黙って見てい て呉れと、いかにも頼んでいるかのような鳴き声だった。

 養母と一緒に微笑ましく眺めていた。そのメス猫は青い大きな眼の、しかも美人(猫) さんだった。その美人(猫)さんは食べ終わると、つんと澄まして、私たち

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問い掛け-14<失望>

<失望>

 ダンプの運転手はもちろん、その勤め先の土建会社からも、これといった賠償や見舞いもなく、入院費も殆んどが自己負担であると養母から聞かされた。

 どちらが悪いのかは別にしろ、人身事故なのは事実。自動車側が責任を負うのは、当時は当たり前。まして私に記憶が無く、それも七歳の子供だから・・・・。

 例え本人が任意保険に加入してなくとも、ダンプの所有者である会社側がそれなりの賠償、もしく

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問い掛け-13<交通事故>

<交通事故>

 二年生の二学期、ブレーキの利かぬ自転車で友達と遊んでいる最中、ダンプと衝突した。

 養父は仕事の関係上当時、日本全国で交通事故が多発し、子供の死者が多いのを危惧したためか、私には当然、自転車を与えぬ主義でいた。まさか、既に私が自転車を乗り熟していたとは思ってもおらず、事故の報せを知ったとき一瞬、耳を疑ったという。その自転車は友達のボロボロになった御古だった。

 日曜日の

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問い掛け-12<初めての転校>

<初めての転校>

 初めての転校二学期が始まり、いつものように、毎朝ガランとした教室に一人ポツンとやって時を待つ。そんな無為な憶い出しか残らないクラスと別れることになった。
 50人近いクラスなのに今も友だちの名前が浮かんでこないのは何故だろうか。多分、顔と名前を覚える間もなく、転校したからなのかも知れない。
 転校の理由は、またも引っ越しだった。養父が再び、自縛霊を曳き合いに出し、この家に居

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問い掛け-11<義理の姉>

<義理の姉>

 小学校は、バス通学だった。養父の信条に強いられたため、私は三十分以上も早くバスに乗り、きまって一人だけの寂しい登校をさせられた。

 初めての登校日、校門を見て立ち止まり、何故学校で勉強しなければならないのか。 別に養母に習うだけで、十分なのになぁーと、納得が行かぬまま教室に向かい、机に坐って頬杖をつき、あれこれと考えを巡らした挙げ句、無性に切なくなった。

 初めて貰った一学期

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問い掛け-10<気絶>

<気絶>

 入学式の朝。グレーのブレザーと半ズボン、ハイソックスを聞き、白いハンカチをポケッ トにそっと仕舞って緊張した。どれもが新品でナフタリンの香りが嬉しくて堪らない。

 小学校の校門には、両脇に大きな桜の木がまるで祝うかのように待っていた。

 和服姿の養母と一緒に、校庭でクラス別の写真に収まった特別な日。担任の先生が女先生だったこと、そして自分の席を覚えるのが精一杯の私は慌ただしく入学

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