問い掛け-15<タマの死と出生の謎>

<タマの死と出生の謎>

 或る日、タマが真っ白なメス猫を連れて帰って来た。タマは自分の餌をメス猫に与え、 隣りに坐り私たちを見上げてニャーと一鳴く。メス猫が食べ終わるまでどうか黙って見てい て呉れと、いかにも頼んでいるかのような鳴き声だった。

 養母と一緒に微笑ましく眺めていた。そのメス猫は青い大きな眼の、しかも美人(猫) さんだった。その美人(猫)さんは食べ終わると、つんと澄まして、私たちを一瞥し、さっさと行ってしまった。

「こんな不細工なタマに、どうしてこれ程の美人(猫)さんが・・・・」

と、養母は不思議がっていた。

 翌日、よく見ると既に彼女(メス猫)の腹は大きく、来月には産まれるだろう、と養母は予言した。

 メス猫用の皿を用意したのに、タマは自分の分まで美人(猫)さんに全てを与へた。

「あんたは優しい猫じゃねえ。」

と養母は感心し、タマの頭を撫でると、タマはニャーと応え、喉を鳴らす。

 美人(猫)さんは相変わらず私たちに慣れる気配がない。少し焦れったくなった私はタマに向かって

「もう家族と一緒なんだから、信用しても良いと言ってやってくれよな」

と 頼んだが、一向に変化の兆しは見られなかった。

 約一ヶ月後、小さな子猫と一緒に三匹が入って来た。なぜ一匹しか居ないのかと養母は首を傾げた。餌の皿をもう一枚追加したが、それでもタマは自分の皿を母子に与え、食べ終わるまで凝っと坐り続け、眺めている。子猫だけでも懐いて呉れないものかと期待し、私は煮干しやお菓子を与え、近くまで寄せ付けたが、結局、母猫の一声でいつも逃げ去ってしまい、失敗した。 「一体、この母子(猫)はどこで寝てるのだろうかと心配したが、タマ自身、食餌時以外は殆ど外だからどこか他に良い寝所があるのだろうと勝手に推測し、先のことまで考えが及ばずにいた。

 季節は秋から冬へと移り変わり、養母は、雪が積もったときのことを酷く心配し、不安げな顔でタマを見た。

「あんた達は一体どこで寝ているんかねえ」

と囁きながらタマの頭を撫でた。果たして雪が降り積もり、タマたちは食餌時になっても現われなくなった。

 私は不吉にもタマたちの死を予感した。他の家や土地に移ったとは決して思えない虫の知らせを感じたからだ。

 三月。啓蟄を過ぎた頃、養母が隣りの竹藪で子猫の屍骸を見つけた。驚くよりも、やはりかと、喪失の念が湧き上がり、悲しみの念が徐々に心を包み出し、止まらなくなった。それから数日経ち、養父がタマの屍骸を発見した。養父は胸の前にタマを抱き抱えていた。

 タマは、まるで氷のように硬直し、その姿は、いままでで最も美しかった。もう二度とタマの鳴き声は聞くことが出来ないのだ・・・。まるで肉親を一人、失ったかのような切なさと悲しみが胸を挟られ、何んともいえない悲哀の波が押し寄せて来た。

「あの母猫もどこかで斃れているんじゃろうな」

と養母は咳き、私は領いた。 翌日、養父母は、タマを袋に入れ、或る山に埋めに往くからと言って家を出た。

 私はシロと留守番をし、その間、やっばり拝みようが足らんかったのかなあ、と自分を責め、後で養母とその事について話し合い、タマの冥福を心から祈った。

 養父は、

「もう猫はいっとき飼わんからのお、犬は首輪で繋げられるが、猫は無理じゃ からのお」

と言って少し眼を潤ませ、視線を逸らせ歯を食いしばっていた。

 猫は三年経つと家を離れ、猫の寄り合いのため一時帰って来なくなると仄聞したことが あった。丁度その時期にタマはあの美人(猫)さんに出逢ってしまったのだろうか。

 朝晩のお題目は相変わらず続けられ、休日には学会の少年部に出席し、描いた絵を発表することもあり、少年部との繋がりは、子供同士仲良く保っていたので、それなりに愉快な経験も得られ実り在るものだった。しかし、養父は頑として参加しなかった。

 学校の授業参観が終わり、校門の前で友達のお母さんが出て来るのを一緒に待っていると、別のお母さんから突然、

「あら、佐伯君は、今日は、おばあちゃんが来ていたようだけど、お母さんは、病気か何かで来れなかったのね・・・・」

と訊ねられ、返事に詰まり、黙ったまま、頭の中が一瞬カッと熱くなり、どうにもならない不快感を覚えた。

 その日、養母と一緒に帰宅して唐突に詰め寄って尋ねた。 

「母ちゃんは本当に僕のカアちゃんだよね。」

養母は、今更なにを言い出すのかいいたげな眼で見返し、

「なにかね急に。ああ、間違いなく一明は母ちゃんのこのボンボンから生まれて来たんじゃから。 一明は間違いなく母ちゃんの子だよ。」

と腹をさすりながら自信満々に応え壁に目を逸らした。

「ふ〜ん。じゃ、本当なんだ。」

といって、それ以上言葉を継ぐのを止めた。間が悪くなり、シロと散歩するからといってそそくさと、その場を離れた。しかし、どこからともなく不明瞭な自責の念が湧いてきた。重苦しく厭な気分を味わう感触が離れようとしない。

 でも、アルバムのあの子には正直に疑問をぶつけることにした。

 何故、生まれたときの写真が無いのだろうか。そして、一歳前後の赤ちゃんの頃の写真が一枚も無いんだよなァ・・・・と。

 いつか健康診断のアンケートで、生まれた時の体重を記入するとき、全く書けずに困ったことがあった。

 その後、養母に訊ねると、「もう、忘れたよ」と目を逸らしたので疑念は尚一層強くなる。なぜなら、自分が生まれたときの体重を知らぬ生徒が、クラスでひとりも居無いから だ。私だけが知らなかった。そして私は、皆の前で赤恥を掻いた。そのことを養父母に話 し、改めて養父に訊ねると、

「そうじゃのう、確か三千グラムじゃないかのう」

と、その場を繕うかのように、うつろな眼で答えて呉れた。仕方なくその数字を用紙に記入し敢えて納得することにした。少なくとも、養父は、まだ自分の父親だと信じ切っていたからだ。

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続く

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