問い掛け-18<お巡りさんのご褒美><雨ニモ負ケズ>

<お巡りさんのご褒美>

 小学四年になった。僅かであれ社会への視野も広がり、小さな自我も芽生え、自己の可能性に挑戦できる、そんな自意識が育まれる大切な時期が、この頃ではないだろうか。

 養母にときどき頼まれる買い物のおつり銭だけが私の小遣いだったためか夏になるとカブト虫やクワガタ虫を獲りに行き、友達に売って小遣いにしていたことがある。

 殆んど毎日、早朝か昼休みの時間に近くの林へ行き、誰よりも多く見つけた。一時期、五十匹もの虫を自作の木の箱に入れ、得意になっていたら、なんと、翌朝、箱の横に大きな穴を開けられ二十七匹も逃げられ落胆した事があった。虫たちの反乱だ。虫たちが木に穴を開けられるは当然で、失念した私が愚かとしかいいようがない。他にもあれこれ趣向を凝らし、お小遣いの足しにしたものだ。

 学校の裏門と隣接するこの家は、反対側に小径を挟んで交番が在った。と云っても普通の人家の一階部分が交番で、田舎でよく見る駐在所と一緒だった。

 或る日、帰宅途中の道で二十円を拾った。私は迷わずそこの交番に届けることにした。するとお巡りさんは、

「よく届けて呉れたね、ありがとう。ちょっと待ってね。」

と言われたので、何か書類のような物が出て来るのかと思い、知らない漢字が出て来たり読めない漢字があったら恥ずかしいなと、別なことばかり心配し頭をめぐらせていると、

「はい、じゃあ、これはご褒美です。」

と言われ、私の手の上に別の二十円を置いて呉れた。きょとんとした私は、少し経ってから、

「これは、なんですか。」と小さな声で訊くと、

「君は、佐伯さん家のお兄ちゃんだったよね。君はエライね。本当に。正直者なんだね。だから、そのお金はとって置きなさい。もし、落とし主がここに来たら、後でちゃんと報らせるからね。」

と言われ、少し圧倒され乍らも、

「すみません。ありがとうございました。」

と反射的に御辞儀はしたものの、頭の中が整理できずに交番を出た。少し立ち止まり、まるで狐につままれた気分になり、心の中でやっぱり、ニ十円だから、こうなったのかなあ、当たり前のことをしたけど、僕の感覚が少し可笑しいのかなあと、首を傾げ傾げ、家に帰り、養母にこの事を話すと、

「あのお巡りさんは若いけど頭の低い人で、人間ができちょるからね。」

と呟き、神妙な顔付きで、

「そのお金は、大事にとって置きなさい。」

と言われ、猫の貯金箱に落とした音で気分が和みスッキリした。

 養父も生真面目で曲がったことが大嫌いな人だったが、私も同様に、他人の物を盗んだ り、ほしがることは無かった。

 五歳の頃、一時期、駄菓子屋で殆んど毎日、おばちゃんの見てる前で好きなお菓子を持ち帰り、養母がその都度、支払っていことがあった。だから、お金の意味合いとその運用について、私に教え込ませるまで、少し苦労させたことがあったと思う。

 又、養父がパチンコの景品としてチョコレートやキャラメルを持ち帰り、タンスの上 置いていたら、我慢できずに取って食べたことがあった。当然、焼処の対象とされ、叱ら

れた。しかし、それ以降、友達や他人に自分のお金や物を無償で与へることはあっても、決して他人様に迷惑を掛けることはなかった。

 少なくとも、麻原に出逢うまでは・・・・。


<雨ニモ負ケズ>

 小学四年の梅雨の頃だったと思う。或る日、テレビのNHK放送で子供たちの演劇を見てから、すっかり嵌まってしまった。

 それは「風の又三郎」の宮沢賢治だった。

 翌日、学校の図書室へ行き、賢治の本を探し出し、どれから読もうかと悩んでると、先生のアドバイスで詩集も在ると知り、その中でなんとも惹かれた詩が「雨ニモ負ケズ」 だった。

 幾度となく、詩を精読し、これは凄い内容だと、感激しながら、丸暗記すべき時だと思い立ち、果たして賢治の虜になってしまった。まさか、その当時、賢治が法華経を崇拝し、それが遠因となり、壮大な宇宙空間を身近に引き寄せるような作品「銀河鉄道の夜」へと強く繋がっていようとは知る由もなく、ただただ、賢治のその感性に憧れてしまった。今にして思い返すとやはり、日蓮と法華経。そして仏教の因縁が多少なりとも在ったのではないかと思う。

 この頃の私は、よく図書室で本を借りることが多くなり又、国語の授業でローマ字を知ったとき、興味を抱き、その日、一日で丸暗記してしまい、それが自信を持つキッカケとなり、僕のような勉強嫌いでも、好きなものは恐ち、頭(脳みそ)が僕に協力してくれるものなのだなぁと気分を良くした。

 さて、担任の男先生が実は、太宰治にそっくりな人で、それも国語専門で、俄然国語の授業に集中し、ホームルームでも、意見や討論を積極的に交わすことが多くなり、議論する面白さを楽しむ自分を発見した。

 又、生徒会新聞の中に「雨ニモ負ケズ」のパロディー作品を載せたり、滑稽なスタイルで周りを和ませようと腐心する私の心性は益々増長していった。

 この頃になると長所・短所も徐々によく観察できるようになったのか、やはり短所の方が気になるようになった。

 理科の先生に恵まれた私は、その授業が毎回、楽しく面白くて堪らず、当然集中でき、抜き打ちテストも満点だった。翻って見ると、先生の授業が暗記できるほど集中できたからに他ならない。これはある意味長所かも知れないがしかし、他の科目は別で、面白可笑しくできない先生の授業は集中力が途切れ、授業に意識が向けられずにいる自分も発見した。

 ある意味、これは長所であり自分本意の勝手な態度だった。マイナスだ。学校の授業は全て必要であり大切な知識であるものだと頭では理解できても、素直になれない私は、残念なことにまだまだ学習とは何かを理解しようとしない頑固な子供だった。

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続く

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