問い掛け-10<気絶>

<気絶>

 入学式の朝。グレーのブレザーと半ズボン、ハイソックスを聞き、白いハンカチをポケッ トにそっと仕舞って緊張した。どれもが新品でナフタリンの香りが嬉しくて堪らない。

 小学校の校門には、両脇に大きな桜の木がまるで祝うかのように待っていた。

 和服姿の養母と一緒に、校庭でクラス別の写真に収まった特別な日。担任の先生が女先生だったこと、そして自分の席を覚えるのが精一杯の私は慌ただしく入学式を終えて帰宅した。

 その日の午後、まさか、気絶する程の大怪我に遇うとは誰が予測しただろうか。

 普段着に着替えて外に飛び出した私は一目散に駆け出し、同級生のR君と一つ年下のM君を呼び出して遊んでいた。すると、隣り区の子供が二人。M君に詰め寄って文句を言い出すので、彼を庇うつもりで私は反論した。その二人は小学三年と五年生の兄弟と後で判った。

まさか、この二人が暴力に出るだろうとの予測もなく、私は、兄を相手に口をとがらし拙ない言葉で口論を続けていた。すると突然、誰かに背後から頭を押され、私はつんのめるよう にして倒れ込み、条件反射の如く、両手を前に出した。しかし、その両手は、雑草に隠れた側溝の溝へと吸い込まれ、顔面に側溝の白いコンクリート片が迫ってくる・・・・。

 気が付いたとき、私は布団の上に寝ていた。鼻がズキンと疼いて痛い。 どうして、ここに今、寝ているのか状況が掴めず「カアちゃん。」と養母を呼んだら、 隣りの部屋から「今起きたかね。」と言って襖を開けて養母が、事の成り行きを話して呉れた。

 昨日の午後、M君が泣きながら駆け込んで来ると、「佐伯君が鼻から血を流して倒れちゃったよぉ。」との報らせを聞き、直ぐ現場に掛けつけた養母は、気絶した私の顔を見て、鼻梁の真ん中がバックリと切れていたので愕いたという。

 その事故のとき、R君は恐くなって家に帰ってしまい, 加害者の兄弟は走って逃げたため、M君だけが泣きながら伝へに来たという内容だった。 血を流していたが、医者に行く程の怪我ではないと判断したのか、既に夕方で病院が閉まっていたので締めたのか、家庭治療で済ませた 結果、私の鼻は長い間、曲がったまま、傷痕もハッキリ残ってしまった。 驚いたのは養父だった。

「もし眼じゃったら、失明しちょるぞ、本当に。」と言って激昂した。

 数日後、養父と私は、その兄弟の家へ赴き、彼らと父親を前にして怪我の経緯と謝罪の言葉を求めた。

 兄弟は泣きながら謝り父親も息子たちを横目で叱っていた。それでも養父は、

「もし女の子だったら、どう責任をとるのかね。」

と言って、続けざまに痰火を切る。犯人が弟の方だと判った。子供のケンカとは申せ、私の真後ろから不意に暴力に出たこと、そして逃げ去った行為が養父には気に食わないらしい。  子供のケンカに大人が介入するのは可笑しいのだが、怪我とその内容が悪すぎた。

 目の前の二人を見て、私は何故か兄弟を恨む気になれなかった。二人が、父親に叱られながら、 正座して両拳を強く握りしめ泣いている姿を前にするから同情しているのとは少し違う。

 多分それは、初めて気絶したショックと、ケンカとも呼べないアクシデントで大怪我を被り、加えて、入学式の、それも当日の出来事であり、これから夢を抱き、希望一杯に登校すべく小学校の先輩の二人から受けた暴力に大きな失望を感じていたからだ。これも或る、人間不信のひとつとなって心に刻み込まれたのではなかろうか。

 帰り際、養父は、「もうあの子たちとは、遊んだらつまらんぞ。」と言って、私を睨んだ。 やはり、無性に悲しくて堪らない。以前のような、渇愛の悲しみとは少し違う痛みが胸を突く。 子供の自分には、上手く説明が出来ないだけに、ただ、ただ、幸いなァーと思う寂塞感が募るばかりだった。

 近所の友達もそうだが、あの兄弟も同じように、そして養父とも、心がちっとも繋がらない。不満も、ケンカもない、静かで楽しい一日を生きて行ければ一番良いのになアー。 皆んなが皆んなどこか違うなァー。いつも余所を向いてるなァ。どうにかならないのかなァー。と、小さな頭で思い悩み、そして切なくなった。

常識からして、ナイフを持ち出して復讐する養父の考えは常軌を逸した行為だ。狂気の沙汰としか思えない。

 養父は、その過ちを、未だに気付していない。しかし当時の養父は、余所者だからといって。 他人に責められる必要はない。意地を見せろ、態度で示せ、と私に教えたつもりだったのだ。さも勲章を見せびらかすかのように ・・・・。でも私は、その歪んだ養父の心性と劣等感からくる可笑しな価値観が透けて見えたように思う・・・・ 。

 少なくとも本能的に「父ちゃんは、怒ると何をするか分らない。 気狂いになる。そんな人なのだ。」 と、脳裏に深く刻み込まれてしまった。

 隣りに坐っていた養母は呆れ顔で、

「もう、ええじゃない。あの子供たちも一明に謝ったんじゃから一明も、もう、あっちの方へ遊びに行くことはないんじゃから・・・・ 」

と、書父に宥めるように優しくいって収めた。

 確か、 この頃でした。養父から韓番で直接手や背中に焼処 (ヤイト)を据えられたのは・・・・。その時の印象は今も鮮烈に残っている。しかも、笑いながら火のついた線香を 私の肌に当てるのだ・・・・。そして間違いなく涎を垂らしていた。(今振り返えってみても、一体、何が嬉しいのか。何故その時だけ養父はニヤニヤするのか、よく判からない。)  勿論、私の悪魔やロ答えを治すための折艦もあったと思う 義母は私に、

「早く謝りなさい。」

とせかした。 しかし、私は頑として聞かない。なぜなら、私の言い分を訊いて呉れないからだ。養父は、思い込みが強く、烈火の如く怒り出し、拳骨が先に飛んできた。

 感情のまま慣る姿と、虐待に近い暴力と脅し文句に反揆したかった。養父の、

「よし、分かった 父ちゃんにも考えがあるからのぉ。 みちょれよ。」

と、子供相手に威嚇し睨み付ける情けない姿にも・・・・。

 この過った性癖と態度に対し、ときどき養母は愚痴をこぼした。

 その文句を聴き逃さない私は、家(うち)は、他の家庭とは違うな、と徐々に気付き始めたのも、この頃だった。

 言う迄もなく、家の中は以前より暗くなり、養母と私は、まるで小動物のように身体を強張らせ、養父の顔色を窺いながら一挙手一投足にビクビク脅えながら暮らす毎日が始まった。

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続く。

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