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「身勝手な正義は、狂気と変わらない」幼い僕が一匹のグッピーを殺した話

言葉はときに役に立たない。
まだちいさな僕があの時にとった行動は、失敗という言葉ですますにはあまりに残酷な事件だった。

「これ以上、状況を悪化させないために」その一心で動いていたはずなのに。

行きすぎた正義は狂気となる。そんなことを知る由もない子どもの僕は無意識に、そして身勝手に正義を振りかざした。それが命を奪う行為だとも知らずに。

いまでもあの狭い空間に放り込まれた小さい目を思い出す。「これからどうするの!?」という怯えにはらんだあの目を……。

――――――

小学生の頃、家の水槽にはグッピーという熱帯魚が泳いでいた。

ライトの光を透かす半透明の体と色鮮やかな尻尾がトレードマークで、飼育・繁殖が用意な初心者向けの熱帯魚だ。しかし繁殖のさいに尾の模様が両親から子どもに引き継がれることから玄人にも愛される、なかなかに沼の深い熱帯魚でもある。


鮮やかで煌びやかな模様を浮かび上がらせている尻尾。黒を基調としたスタイリッシュな尾もあれば、真っ赤だったり透明だったりと艶やかな模様を持ち合わせた尾もあった。

ひらひらと優雅にまうそれは、まるでドレスのようにたなびく。黒い尻尾はタキシードだ。ただ泳いでいるだけなのに、なんだか大人な雰囲気を漂わせていた。(もっとも、ひらひらとした尾を持つのはオスなのだが。メスは短くこじんまりとした可愛いサイズの尾に模様を浮かび上がらせる。)

そんなグッピーたちの舞踏会を時間なんて気にせず、ただうっとり、ボーッと眺めるのが好きだった。彼らが舞い泳ぐ水槽を子どもながらに特別なモノに感じていた。


けれどその聖地にある日、災いが訪れた。

病気だ。

グッピーもやはり生物なので、水槽内の一族だけでは遺伝的に問題が出てくる。尾の模様のバリエーションを増やす目的もあって定期的に熱帯魚ショップで新入りを雇っていたのだが、その新入りたちの誰かが病気を持っていたのだ。

病気は瞬く間に、舞踏会場をパンデミックに陥れた。あるものはお腹を上に泳いぎ、あるものは身体が変形したてしまったり。荒れ果てた会場を眺めるのは、つらいコトだった。父親がどうにか対処しようと、黄色い粉の薬を投入するも全く効果を発揮しなかった。



次第に数が減り居樹小名動きを見せるグッピーと、薬の影響で黄ばんだ水。

おとぎ話で見る暴力的な脅威ではなく、じわじわと少しずつ苦しめられている様子を見ると、吐きそうになってしまった。コロナ禍のいま思い返すと、そこにはとんでもない生々しさがあったのだと思う。

なんとかしなければいけない。そう思った。

幼いぼくは、原因をなんとなく掴んだ気でいた。実は新たに雇ったグッピーの内、1匹の身体が最初から変形していたのだ。そのグッピーが来てから病気の流行が始まった。要はそいつをどうにかすればいい。

そうして僕はある計画を立て、両親がいない土曜日の昼に、幼い正義を振りかざした。

熱帯魚ようのネットで背中の曲がったグッピーをすくう。自ら挙げられたグッピーは自分の状況をつかめていないようだった。このままだと水が垂れてしまうので、ネットから手に移す。手の上にのった、状況を呑み込めていない小さな命。ためらう気持ちもあったけれど、でもこの計画は実行しなければならない。

手に載ったグッピーを抱えて、一気にトイレまで走った。トイレにつくと無造作に便器へグッピーを投げ入れた。

計画とは問題のグッピーを処分することだった。

大好きだった舞踏会場を取り戻すために、一匹を除くことにしたのだ。
便器の狭い水で泳ぐ小魚をみたとき、これで全てが終わると思っていた。

戸惑い気味に泳ぐ姿を見たとき、なんとなく目が合った気がしたが気のせいだと片づけた。トイレのレバーを引く。激流がグッピーを奥に引き込む。

流れに逆らう様子を、僕は見ていた。2秒後には流れに押され、グッピーは水底の闇に消えていった。タンクに再びたまっていく水の音は、やけに記憶に残っている。

突然、得体のしれない感情に襲われた。深く真っ暗な穴を落ち続けるような、そんな感覚。感覚は終わりなく、どこまでも落ち続ける。石鹸で手を洗うのも忘れ、急いで布団に向かい、毛布に顔を突っ込んだ。

あの日のことについて、ここから先はあまり覚えていない。

――――――

水槽は結局、舞踏会場に戻ることはなかった。病気の拡大は止まらず優雅に泳いでいたグッピーはみんな死んでしまった。

あれから10年ほどたっただろうか、いま同じ水槽には別の魚が泳いでいる。

――――――

あの時どうすればよかったのか。

もっと早く手を下していれば良かったのか。

もっと早く、強力な薬を撒けばよかったのか。

いまだにわからない。けれどあの時実感した、生き物を身勝手に殺すのが良いことではないだけは、わかっている。

そして誰かの犠牲を見過ごすこともしたくない、とも思う。できるだけみんなで幸せになれる方法を探してきたい。それが魚であろうと、人であろうと同じことだ。

あのグッピーの犠牲のうえに成り立った考えであることは重々承知だ。矛盾をはらんでいる。

けれどそれこそが捧げられる唯一の償いだと、僕は考えている。



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