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【考察】やさしさとかしこさ

好きなnoterさんが「やさしさとは」と質問をされていて、今の自分なりに考えている最中のアウトプットを試みます。

かしこいひとはかしこいから
たぶん相手が何を求めているか分かるんですよ
このアドバンテージを相手のために使うか自分のために使うかは
その人のさじ加減ですよね
やさしいひとは、相手に寄り添うし
利用するひとは、相手を使う
だから、この結論として「かしこいひと」は相手に寄り沿う「やさしさ」を提供できるポテンシャルは大きいものの絶対的に信用するには足りないですよね

ここでは「かしこいひと=相手のことを悟れる人」として
「かしこくないひと=相手のことを悟れない人」としましょう

かしこくないひとが相手に寄り添う気持ちがあって
「ごめんね、分からないけど、ほんとうはあなたのことをもっと知りたい」「なんとかしたい!」 その域に達したら友達になれるレベルですよね。
かしこさとかなんだか高そうなハードルの下をすり抜けて寄り添う気持ちが
もしかしたら無二の友人に成り得る

どちらを肯定する気も否定する気も無いんです
「もっと知りたい」と寄り添う気持ちが「何の解決にも至らない」としても「それって優しさと言っていいんじゃない?」と思ったのです。

解決に必ず至る誘惑的なやさしさよりも、ずっと「やさしさ」なんじゃないかなって思ったのが前半。

後半は短く。
「大きな優しさはあきらめて!」
大きな優しさを理想にしたら、たぶん架空の神様になれたら達成できるかも。
だけど、ふつうの人には無理だから。
どーせ無理って言葉、ほんとうはあんまり好きじゃないけど。
それ(万能な優しさ)は、やめた方が良い。

偶然でも必然でもいい
なんだか関わっている人で
自分のこと見てる人
心配してくれたり、一緒によろこんでくれたり、時々おこってくれたり
寂しくなっても「そんなに心配しないで」と言ってくれる近い人を気にしてほしい

マクロには限度があるし
ミクロには盲点があるし
どちらも欠点が多いけど
やっぱりどちらかというとミクロかな

小さい自分を見る視点
小さい自分にも見えなかったアリンコみたいな価値とか
小さいアリの巣穴の向こうにある卵、砂、微生物

ちょっと休憩して
ちょっと落ち着いて
ちょっと呼吸を整えたら

見えるかもしれないから
休むことや優しさを許してくださいね

こんなに休んだのに全然足りない
誰かは出来るのに私は出来ない
いいじゃない、それが許される環境なら
それが許されない環境が圧倒的に多いんだから
きっとたぶんおそらく、あなたは幸運だよ。

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