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【提案】優しさに包まれたいのなら

今夜やることを様々に考えていて、少し苦手な技術の仕事が浮かんだのですが、どうも乗り気になれない
そんなとき好きなnoterさんが「勇気をくれる曲」というお題を出してくれて
クラシックからパンクまで音楽が大好きな私は心が動いてしまったので
そっちに逃げてnoteの投稿に身を隠します
うれしい

私はデザイン畑の出身なのですが、大学時代は音楽のことばかり考えていました
プレゼンの授業でも「音とデザイン」というテーマで分析し代表の一人に選ばれたこともあります
その時の先生、評価してくれてありがとう

好きなことを綴ると長ったらしくなるので結論から答えます
「優しさを感じた原点から遡る」
これが私が導いたショートカットです
これまで「優しさ」を感じたことが一度もなくて
全てを恨み悲しみしか存在しない
そんな人はこの文章を読んでいないと思います
なぜなら、それが本当ならもうこの世にいないか
何かやらかして外部との制限を与えられているはずだからです

私は本当に恵まれていて
原体験となる親からの優しさを十分に受けながら
贅沢にもそれは当たり前で
音楽に頼る習慣があります
たぶん、小4くらいの時かな
とあるアニメの歌を聴いて泣くほど感動して助けられた記憶があります
その頃から私は音楽に頼る習慣がつきました
そしてその頃から当時ではカセットテープにその人が聴いた方が良いと思う音楽を詰め込んで、お友達にあげるという寄り添い行動が始まり
喜ばれることが嬉しくて中学時代にギターに出会い曲を作るようになりその人が聴いた方が良いと思う曲をつくる、、
と続いていきます

その思いは今も全く衰えず仕事にも続いていたり
音楽が助けてくれた実績から 誰かを音楽や仕事で助けたいと思っています
見方によっては傲慢だなぁ
さて、広がる前に話は戻り
「やさしさを感じる」にあたって私にとっては音楽というところから再スタートします

分かりやすい例で言うと
落ち込んでいて本当は明るく楽しい気持ちになりたいときに
「明るく楽しい曲を聴く」のはたぶん間違いだということです

心が弱っている局面では同調、つまり「寄り添い」が本当は効果的だと思っています
不安なときは「不安だよね、わかるよ」
悲しい時は「悲しいよね、わかるよ」
辛い時は「辛いよね、わかるよ」
そんな感じです

デジタルが進化していく中でこれから生まれてくる人たちは
デジタルが作り上げたコンテンツにそれを感じることに全く違和感が無いでしょう
だけれど、いま大人と言われている人たちにとっては
体温を感じる音が心地よいはずなのです
というか、AIが提供するソレも過去の人間が創造したデータをベースに提案しているはずなので 結果としては体温と言えるのかもしれない
本人の顔が見える見えないとか
受動的なのか能動的なのかは別として

例えば私は雨の音が好きですが嫌いな人もいます
都会で生まれ育った人は人や車の音、喧騒が落ち着くという人もいます
音楽を聴いた時 その音楽を作った人の意図とは関係なく癒される人がいます
これは何かと言うと「優しさ」を感じた印象的な時期のあらゆる記憶と経験をその時に聴いた音と結び付けているからだと推測しています

高齢者が「懐かしい」と言って癒される音が必ずしも癒し系の音とは限りません 中には物騒な軍歌に癒される人もいます
個人が「あの頃は良かった」という体験の元で導き出しています
その記憶が個人の都合で書き換えられたものかどうかはあまり問題ではありません
むしろ嫌な記憶が書き換えられるなら夢がありますね

私はと言うと高校時代を暗黒時代と呼んでいるのですが そんな中でも音楽に助けられて本当に様々な世代の音楽にアクセスする環境に恵まれて
多くの音楽を吸収していました
優しい親にも相談したくないというプライドは当たり前のようにあって
仲の良い友人にも弱音を吐きたくないというプライドもあって
そんな中で私を助けてくれたのが間接的な音楽でした

音楽を作った人の顔や意図、予測できる心境を体温として感じるからこそ伝わるものだと思うからAIにはAIが作ったと言わず人間をだましてほしいなぁと思っています
「これが聴きたいんでしょ?つくってみたよ?」ってスマホから提案されて同じくらい体温を感じる人もこの先出てくるんですかね
スマホとかホログラムを抱きしめたりちゅーとかしたり
本気で一緒に居たいって思う時代はくるのか
私は40年以上生きた人間なので老害と言われるかもしれませんが
ちょっと理解できないです
だって、それを望んでいるみんなに同じことするんでしょ?
もう少し特別に扱ってほしいなぁと願望が出てしまうからです

Laika came backさんの「駿馬」を貼ります
前に進もうとしている人に汎用性が高いからです
近く深く寄り添った後に、全てを肯定してくれるからです
好きなフレーズ
「きっと君は言うだろう もうそんなに そんなに そんなに 悲しまないでと」
そうだ そのまま 進め

知る人ぞ知る たぶんマイナーな歌うたいです
私は中2の頃からずっとLaika came back(車谷浩司)さんが好きで、いまだにずっとこの人の声に頼っています
喫茶店でのライブでしたが、珍しく妻を連れて行ったこともあり
無関心な妻も「良かった」と言ってくれるほどポテンシャルのある人です

命令はダメなんだ
響かないから
理解と寄り添い
そして最後にちょっと背中を押してくれたら
良質な励みになる

あなたにとってのそんな体験を振り返って
もし心当たりがあるなら
それを感じる何かに触れてください
うちの子は正に原体験の創作中
私という親からどんな体験を残す?
私はほとんどコントロールできないと思っています。
「好きにしろ」って思っています なぜなら私が
「好きにしかできなかった」親だからです
たぶんちょっと問題児になる だけど
あぁ、わかる そだね そんなもんだよ
理解して寄り添うことだけは絶対に怠けない親でありたいと思っています

長文になってしまったね
わかってはいたけど、このテーマなら良い方だと思う!
私のコアな題材だから
少し心が軽くなりましたか?
期待外れだったらごめんね(^^;
無責任そーりー


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