マガジンのカバー画像

偶人草紙

9
片眼鏡の人形師はひっそりと嗤う。その人形は願いを叶える人形だと。さぁ、願うがいい。どんな願いでも叶えよう。しかし御代は頂こう。願いに見合った御代を。欲望は際限なく膨らみ続ける。人… もっと読む
運営しているクリエイター

記事一覧

09 蘇芳

 俺は来たときよりも気が動転していた。いったいどんな道のりを走ったのか、まったくわからない。  マンションの地下駐車場に西園寺はいなかった。都合がいい、今のうちに逃げよう。  だが俺のマンションの入口前に、管理人と見知らぬ男が二人いた。  今度は何だ? 「あぁ、ちょうどよかった。捜していたんですよ」  親しみやすい口調とは異なる、厳しい視線。  何だ? 何なんだ? 「どちら様で?」  管理人はともかく、この二人のおっさんたちには面識がない。すると二人はスーツのポケットから、警

08 蘇芳

 盛夏の青空は一陣の風のように通りすぎ、そして五節句・重陽の日を迎えた花車堂の主は、十五人揃の雛段を飾っていた。  一見すると季節外れの行為だが、江戸時代初期の頃には、九月九日を後の雛といい、三月三日以外にも雛祭りを行っていた風習があった。  また三月三日を桃の節句というように、九月九日は菊の節句という。  飾り付けを終えた西園寺は、甘酒を用意してから、菊子を雛段の前に抱いてきた。 「今日は菊子の日だね」  正座した膝の上に菊子を乗せて、盃に注いだ甘酒を味わいながら、片眼鏡の

07 蘇芳

 真夏の夜空に夏虫の声が響き渡る。  その声を初めて聞く者は、小さな虫の声の重なりを不気味に思うかもしれない。絶え間なく鳴く声は、数百、数千の虫たちの声と重なりあい、地の底から沸き立っているかのように錯覚する程だ。  紺色の空には金剛石のような光を放つ星が輝き、ただそれを見つめているだけで魅了されそうだった。  池のほとりには、淡い黄緑色の光を点滅させながら、蛍が乱舞するその様は、幻想的だがどこか、もの悲しい気分にさせる。  西園寺は提灯と手提げ盆を持ち、お気に入りの池のほと

06 蘇芳

 都心にマンションを買った。  車はもちろん外車、フェラーリだぜ! 「くくくく……はははは! すげぇ、すげぇよ!」  家具はもちろん新しいものばかり。全部、全部、全部! ブランド物ばかり買いそろえた。  換金するのに少々時間がかかった。身分証明書が必要で、数日かかるとは思ってなかった。その間、俺はコンビニの裏に捨てられる、賞味期限切れの弁当をあさって、ホームレス同然の生活を強いられたが、後に来る金持ち生活が楽しみで、ちっとも苦にならなかった。  だって俺は億万長者だぜ?  も

05 蘇芳

「は?」  そして片眼鏡の人形師と視線が合う。  そして若き人形師の瞳に吸い込まれる。冗談でも嘘でもないと、なぜか信じる気になってしまう。  西園寺は蘇芳という名の伊豆蔵人形の頭を撫でた。 「前にお貸しした人は、別れた恋人とよりを戻したいと言って、その通りになった。その前の人は絵かきとして世界に認められたいと言って、今や誰もが名を知る有名画家になった。君は蘇芳に力を借りたいとは思わない?」  そんなの嘘だ……  そんなの……  それなのに差し出された人形を、言われるがままに手

04 蘇芳

 建物は縦に長い構造だった。建物入口を正面に、左は広大な花畑が広がり、右は植樹されたと思われる造園が繰り広げられる。こんな山奥に造園をするための職人が来るのだろうか? あの花畑にしろ、造園にしろ、この西園寺という男一人の手では、絶対に管理しきれないはずだ。しかし恐ろしい程、その他の人の気配はしない。  建物の入口・右側は格子戸となっており、左側は花畑が見渡せる洒落た格子のついた窓が、嵌め殺しになっている。  西園寺の後について建物に入ると、俺は総毛立った。  何だこれは?  

03 蘇芳

 もうだめだ。  借金なんて返せねぇ。  ちくしょう、もう死んでやる!  適当なバスに飛び乗り、見知らぬ土地にたどり着いた。残金は二百七十円。それがどうした?もう俺は死ぬんだ。金のことなんてどうでもいい。  荷物は百円均一で買った洗たくロープ。  安いもんだ。たったこれだけで楽になれるんだ。全部から開放されて、全部終わる。  俺の人生ごとすべて。  山中へと向けてやみくもに歩いた。腹が減っていたが、不思議と疲れることはなかった。  あぁ、懐かしいな。俺の田舎もこんな山の中だ。

02 蘇芳

 春は豪華絢爛だ。  色のない沈黙の季節は過ぎ去り、眩い宝石箱の季節が大地に広がる。木々は新緑の芽を紡ぎ、大地には柔らかな緑の絨毯が広がり、色とりどりの花が色を添える。野には野の花、庭には大輪の牡丹。桜が満開になれば、その美しさに圧倒され、息をするのさえ忘れてしまう。  人里離れた山野に『 花車堂』という名の店があった。建物は木造二階建て、完全に和風の作りで、四季折々の花が咲き乱れる広大な庭を持つこの店は、どこか浮世離れしていたが、それでもその風情に合間って、それは見事に調和

01 蘇芳

 辺りは朝靄に包まれている。  太陽も昇りきらぬ早朝、池のほとりを一人の男が歩いて来る。  紺色の長襦袢に渋い 浅葱色の着物。歳はまだ若いがその和装は堂に入っていて、着崩れたところもなければ、違和感もなく着こなしていた。  髪は癖のないカラスの濡れ羽色、切れ長の涼しげな瞳は栗皮色。右目にだけかけられた、金色のフレームの片眼鏡が印象に残る。早朝だというのに、眠そうな気配は微塵もない。  顔立ちは凜としていて、結構な美丈夫と言える。  彼の名は 西園寺蓮也(さいおんじ れんや)と