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04 蘇芳

 建物は縦に長い構造だった。建物入口を正面に、左は広大な花畑が広がり、右は植樹されたと思われる造園が繰り広げられる。こんな山奥に造園をするための職人が来るのだろうか? あの花畑にしろ、造園にしろ、この西園寺という男一人の手では、絶対に管理しきれないはずだ。しかし恐ろしい程、その他の人の気配はしない。
 建物の入口・右側は格子戸となっており、左側は花畑が見渡せる洒落た格子のついた窓が、嵌め殺しになっている。
 西園寺の後について建物に入ると、俺は総毛立った。
 何だこれは?
 土間は縦長に続いており、右の壁一面には西洋人形が、そして真っ正面には能面やその他の人形、土間をあがった板の間、玄関の引き戸と並行になる窓の下には、日本人形がずらりとあり、そして左側一面の棚は全部日本人形で埋め尽くされていた。
 寒気がする。
 一度にこれ程の日本人形を見たことがない。一体の日本人形でも、なんとなく気味が悪いと感じるのに、これ程揃うとなんだか恐怖心を感じてしまう。
 入口で立ちすくんでいると、主人はさっさと下駄を脱いで板の間に上がった。そしてずっと抱えていた、日本人形を、それは恭しく丁寧に窓際に置く。
「菊子が外に出ろというから言うから行ってみれば……」
 は?
 主人の一人言は、俺に恐怖心を植えつけるのに十分だった。そこから一歩も動けずにいると、西園寺は悪戯に成功した子供のように、くすりと笑った。
「冗談だよ。怖がるかなって」
 笑えねぇ冗談だな。
 そりゃ、俺だって人形がしゃべるとは思わねぇけどさ。それでなくとも日本人形が不気味に見えてしまうし、よく曰く付きの怪談話しも耳にする。
 だからどうしたって日本人形ってのは、薄気味悪いってのに……
「さぁ、あがって。そこで立っていないで。今日は風が強い。埃が店の中に入ってきてしまう。人形に悪いんだ」
「あ、悪い……」
 ひとまず中に入って引き戸を閉めた。改めて店内を見回す。
 日本人形に比べて、西洋人形の数は少ないが、相当古そうだ。日本人形に負けず劣らず不気味だ。
 入口の正面に能面があるってのはどうなんだ? 面の名前なんて知らないけれど、不気味だよなぁ。今にも動きそうな感じが……
 カタン……
「!」
 飛び上がりそうなほど驚いた。振り向けば、茶道具を取り出していた西園寺が、丸い何かの蓋を落としたようだった。
 タイミングが悪い……いや、よかったのか? 動きそうだと思った瞬間に、蓋を落としやがって……もしかして、わざとか?
 それは転がって、俺のいた方向へ来たので、手を伸ばして拾いあげる。漆黒の漆に牡丹の花の細工が鮮やかで美しい。
「あぁ、ごめん。なつめの蓋がはずれちゃった」
 だが実際には西園寺に他意はなかったようだ。
 手を伸ばすので、しかたなく俺は板の間に上がって西園寺に蓋を渡した。
「えーっと、抹茶?」
 よりによって抹茶かよ。飲んだこともねぇって。お茶って、抹茶のことか?
 蓋を受け取った西園寺は、抹茶の粉が入った丸い入れ物に蓋をした。
「飲んだことない? 別に作法なんて気にしなくてもいいよ。僕も人にお茶を立てるのが久しぶりだから、作法を忘れてそうだし」
 そう言って微かな微笑みを浮かべる。
「あの……あぐらでもいいか?」
 正座だと一分も、もたないぞ。
「どうぞどうぞ、楽にして。正式な茶会でもない。茶室に招いたのなら作法に乗っ取ってもらうけれど、そうではないのだから多少行儀が悪くても好きにしていいよ」
 そう言いながら、西園寺は茶道具入れから抹茶に使う道具を取り出す。それこそ見たこともないものが、次々に出てきて、ひとまずあぐらをかいて座ったものの、どことなく落ち着かない。
 しかし茶道具から目を離すと、日本人形に視線が向いて、ますます落ち着かない。
「あー……それ、なんて言うの?」
 別に興味はなかったが茶道具について聞いてみる。
「これは袱紗(ふくさ)。茶道具を拭いたり、茶碗を受けるときに使ったりするね」
 説明しながら西園寺の手は休みなく動く。その仕種は非常に滑らかで、一度も止まる事なく進む。作法なんて本当に知らないけれど、流暢にこなすその一連の仕種は洗練されていて美しい。
「茶菓子がなくてごめんね。本来なら先に出すものなんだけれど。客が来るとは思ってなかったから」
「そんなんで……経営は成り立つものなのか?」
 思わず出た俺の本音に、西園寺は意味深な微笑みを浮かべて、明確な答えは出さなかった。
「これは茶杓。抹茶を入れる匙だね。こっちは建水、茶器を暖めるために使ったお湯を捨てるためにある。これは見たことがあるだろう? お茶を立てるときに使う茶筅だよ。このガーゼみたいのは茶巾。平たくいうと茶碗専用の布巾だよ」
 片眼鏡の人形師は心なしか楽しそうだった。説明をしながらもすらすらと進む。品のよい紫の袱紗で茶杓を拭いて、帯にその袱紗をはさんだ。
 囲炉裏から吊り下げられた鉄瓶から、直接お湯を茶碗に注ぐ。凝視しているのに気づいて、西園寺は苦笑した。
「これくらい許してよ。釜立てする用意がしてなかったんだもの」
 別に責めているわけではない。どれもこれも俺が初めて目にするものだったから、珍しいだけだ。
「いや、その……珍しいから」
「そう?」
 今時の一般家庭で、囲炉裏があるなんてところないだろう?
 純和風の建物も、それから当たり前に抹茶を立てる家庭だってない。何もかも珍しいに決まっている。
 茶碗の中の湯を何度か回して茶碗を暖め、先ほど建水と教えてくれた、茶碗の大きなものにお湯を捨て、茶巾で茶碗の濡れたところを丁寧に拭く。
「この人形全部売り物?」
 ぐるりと見回す。全部の人形が俺を見ている気がして、本当に落ち着かない。
「半分以上はそうだね。一部ただ置いているだけのものもあるよ。例えば菊子なんかは誰にも渡せないし。菊子ってさっき僕が抱いていた市松人形。僕の作品なんだ」
「えっ? あんたが作ったの?」
 思わず俺は窓際に置かれた先ほどの人形を見た。菊の花の描かれた白い着物を着た日本人形は、今にも動きだしそうな程、精巧に作られていた。
「そう、僕の作品。全部が全部僕の作品ではないけれど、一部置いてある。どれか気に入った子はいるかい?」
「いや……あ……あんまり人形は……」
 気味が悪いとは言えないな。
 人形師の視線は茶碗に定められていて、なつめの蓋を外して抹茶を入れていた。
「興味ない? ふふふ……確かに、好きじゃないと手に取ることはないだろうね。ここにある人形はそれぞれ不思議な力があるんだよ」
 口もとにうっすらと笑みが刻まれる。
「はっ?」
 俺は思わず顔を引きつらせた。すると西園寺は再び悪戯に成功した、子供のような顔で笑った。
 騙された。
 こいつはびびる俺でからかっているだけなんだ。
「機嫌を損ねたかな? でも本当だよ。髪の毛が伸びるのが気味悪いといって、ここに持ち込まれた子もいるし」
「ほっ、本当に?」
 やめてくれよ。
 背筋がぞわぞわと寒くなる。冗談だとしても言ってほしくないな。
 だが今度は、人形師は笑わなかった。至極真面目な面持ちで頷いた。
「うん。あれはねぇ、なぜか心霊現象にされているけど、人毛を使うとどうしても多少は伸びるんだよ。切ったあとも髪の毛は栄養素がなくなるまでは伸びる。でもその長さは微々たるもので、普通は気づかない程度なんだ。それがたまたま毛吹きの後に、数本伸びたりなんかすると、呪いの人形ということになって大騒ぎするんだもの。たったそれだけのことで、見捨てられてしまうこの子たちがかわいそうだよ」
 鉄瓶からそっと茶碗にお湯を注ぐ。茶筅に手を伸ばす直前、一度だけ振り返って日本人形たちを見回した、その涼しげな顔に浮かんだ感情は憐憫。
 人形に対する深い愛情を感じさせる、優しい瞳だった。
「人形の毛は全部人間の髪の毛なのか?」
「ううん、そんなことはない。今はスガ糸といって、ヨリをかけない絹糸を染めたものを使っている。自分の髪の毛で作って欲しいとか、娘の髪の毛で作って欲しいとか、そんな特別な注文や、僕たち人形師が自分の満足のいく作品を作るために、どうしても人毛がいいと拘ったりした場合くらいだね」
 静かに丁寧に、しかし一定の早さで茶碗の中の茶筅で茶を立てる。シャカシャカとした音は、不思議と穏やかに聞こえた。
「それに現代人は髪を染めてしまって、人形に使える髪の毛の持ち主はほとんどいないよ。癖があっても使えないし、太すぎるのも、細すぎるのもだめだ。ある程度の腰があって、艶やかでなくちゃね。そうなると、ほとんど人毛の人形は存在しなくなる。だからこそ人毛を使って作られた子は、大切にしてあげなくちゃならないのにね」
 ゆっくりと茶筅をあげる。そして俺の方へと茶碗を差し出した。
「作法なんて気にしないでどうぞ」
 優雅な手つきで、茶碗を俺の前に置く。
「はぁ……えーっと、いただきます」
 そろそろと茶碗に手を伸ばす。漆黒の茶碗だ。俺にこれがどんな高級品なのか、さっぱりわからない。何とか焼きのなんとかという人が作ったとか言われても、その価値がわからないから、ぴんともこないし。
 それでも昔テレビかなんかで見たように、一度手のひらに置いて、ぐるぐると回して一口飲んだ。
 ……苦い。
 何がうまいのかわからない。そもそもペットボトルの緑茶でさえ、苦くて好きじゃないというのに。
 そんな思いが顔に出たのか、西園寺は苦笑した。
「まずいって、言いたそうな顔だね」
「いや、そんなことは」
 思ってもストレートに聞くなよ。答えにくいじゃないか。
 しかし西園寺はまったく気にした様子もない。
「別にそう言ってもいいんだよ。飲み慣れていなければ、そりゃあ苦いだろうし、まずいと感じるかもしれない。でも最初に言ったよね? 茶菓子がないって。抹茶はね、茶菓子を食べた後の甘さを打ち消すための茶なんだよ。だから茶菓子もなしに、初めて抹茶を飲んだんだから、そりゃ苦いだろう?」
「うん……ほ、本当は苦い………っていうか、俺には抹茶の味がよくわからないから。どういうのがおいしいのか、そうでないのか」
「さみしいねぇ、日本の文化なのに理解されないって」
 そう言って西園寺はもう一つの茶碗を茶道具入れから出して、今度は自分のためにお茶の用意を始めた。
 俺よりいくつか年上なのだろうが、ここまで純和風を貫いて生きている男も珍しいと思う。建物が和風なのは、人形屋なのだからしかたがないとして、西園寺の着物姿はもちろん、茶と言えば抹茶だなんて、時代錯誤もいいところだ。
 ふと見れば、茶道具入れの傍らに、見慣れない道具がある。
「それ……煙管ってやつ?」
 煙草まで煙管ときたもんだ。いったい何時代を生きているつもりだ?
「うん、そう。たまに吸うんだけど、ここでは吸わせてもらえないんだ。菊子が嫌がるから」
 なんだ?
 さっきから聞いていると、どうもその菊子という名の日本人形に、まるで意思があるかのような口ぶりだ。
 気味が悪い男だ。ひょっとしてかなりヤバいタイプか?
 窓際に置かれた菊子という名の人形を見る。
「っ!」
 笑った? そんな馬鹿な!
 もう一度目を凝らして見る。
 人形は人形のままだ。
 当たり前だ、それが普通のことだ。
「どうしたの?」
 自分の茶を立て終えて、流れるような動作で茶碗を手にする。視線が合ったが、人形が笑ったなんて言えるか。
「別に……」
 言いよどんでいると、西園寺はぞっとするような、冷ややかな表情を浮かべて、茶碗に視線を注いだ。
「聞きたいことがある。僕は博愛主義者ではないから、人はすべて平等だとは思わないし、ましてや命の素晴らしさなんて説くつもりはないよ。ただどんなことがあれば、死にたくなるのか興味があるね」
「っ!」
 その無神経な台詞にかっとなる。しかし暴言を吐いた本人はそうとは思わないのか、流れるような動作でお茶を口にする。
「あぁ、陳腐な台詞は聞きたくないよ。おまえに何がわかるとか言われても、何も知らないし、理解する気もない。僕はそのきっかけだけが知りたいんだ」
 どこまでも自分本位で、ずうずうしい。ここまで無神経な発言ができる男は初めて見た。
「話す必要がなぜある?」
 怒りを押さえて問うと、西園寺はうっすらと笑みを浮かべた。
「僕の敷地に無断で侵入して、自殺しようとしたんだから、そのくらい答えて当然のことじゃないか? もしもあのまま死んでいれば、僕は庭先にどこの誰かもわからない死体が、せっかくの見頃を迎えた山桜の枝に、ぶら下がっているのを見つけることになっていたんだよ? その迷惑さを考えると、そのくらい話してもいいんじゃない?」
 片眼鏡の向こうの目を細める。不快だし頭に来るが、西園寺の言うことはもっともだった。
 俺はため息をついてうつむいた。
「……借金だよ」
「ふぅん」
 自分で理由を聞き出した割に、さも興味がなさそうな相づちを打った。本当に頭に来る男だ。
 西園寺は床に茶碗を置くと、立ち上がって背後の棚に収められている、一体の人形に手を伸ばした。
 それは市松人形とも違う風情の日本人形だった。あの市松人形が女の子ならば、手にしたそれは男の子なのだろうか?
 どちらにせよ、子供をモチーフとした人形のようだ。
 白塗の丸顔の光沢のある顔をしたそれは、目が細くて笑っているように見える。だがそれは微笑みというより、嘲笑するように見えるのは俺の思い込みだろうか?
 若干色の落ち着いた浅葱色の着物を着ている。大きさはあの菊子といった人形の、半分程しかない。
 片眼鏡の人形師は、一度手に取り、可愛がるように頭を撫でた後、それを俺に差し出した。
「え、何?」
「貸してあげるよ」
「悪いけど、いらねぇよ。別に興味ないし」
 それどころか、なんとなく気味が悪くて触りたくない。しかし西園寺は俺の前に座ると、意味深に微笑み人形の頭を撫でた。
「この子の名は蘇芳。伊豆蔵人形だよ。今は伊豆蔵人形を御所人形なんて呼ぶけれど。実は蘇芳はね、曰く付きの人形なんだ」
「だっ、だからいらねぇって」
 なんつう物を人に押しつけようとしてんだ!
 それもわざわざ曰く付きだと教えて、受け取る奴なんているもんか。
「人の願いを何でも叶える力がある」
 だが頭に来ていた俺だが、その言葉はすとんと耳に届いた。

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#現代 #シリアス #ミステリー #オカルト #ホラー



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