見出し画像

【おもしろい!はこう作る】第一人者が教えるコツ~エッセイ、川柳、コピー、作詞~(2012年11月号特集)


※本記事は「公募ガイド2012年11月号」に掲載されたインタビュー記事を再掲載したものです。

エッセイ:会えない人と心で会話する手立て

『虹を掴む』というエッセイがある。著者はJリーグ初代チェアマン・川淵三郎。「Jリーグ、日本代表の18年間の舞台裏を初めて明らかにした日本サッカーの“歴史書”」とあるので、自ら綴ったノンフィクションと呼んでもいいだろう。この本を読む前、川淵チェアマンは「ずいぶん横暴な人」「野球を無視した反野球勢力の総帥」といった印象が強く、敬意を抱けなかった。

エッセイを読んで、彼の行動・言動の背景にある事実を知り、彼の意外な脆さも感じて印象が変わった。エッセイは会ったことのない人(会えない人)と「心で会話する手立て」かもしれない。双方向ではないから「突っ込むこと」はできないが、著者の心のひだに触れる喜びはある。

『龍の如く 出版王 大橋佐平の生涯』(稲川明雄著)は、明治時代に一世を風靡した出版社・博文館の創設者・大橋佐平の評伝(ノンフィクション)だ。
樋口一葉、徳田秋声といった文学史上の作家たちを世に送り出した源が博文館だったと、この本で初めて知った。

大橋佐平は、私の郷里・長岡の出身。上京当初、「文化の香りがない地方の出身」を劣等に感じていた我が故郷の先輩が明治文学の拠点を創ったと知り、瞠目した。同じ風土に育った大橋佐平の生き様、時代の風景に触れると、自分の奥に潜む血や気風が明快に自覚される。それは時代を越えて自分の原点を直視できた感動だ。ノンフィクションには、荒唐無稽な生き様の面白さだけでなく、他人の生き様を通して「自分を知る喜び」もある。

小説とノンフィクション、どちらが「ありえない話」が多いかといえば、案外ノンフィクションかもしれない。

ノンフィクションで描かれる主人公の発想や心理は、常識では理解できないが「実際の出来事だから」受け入れざるを得ない。圧倒的な説得力がある。
読み手の小さな常識や価値観が木っ端みじんに砕かれる衝撃もノンフィクションやエッセイを読む心地よさのひとつだ。

インタビュー:小林 信也(こばやし・のぶや)
作家・スポーツライター・エッセイスト。日本ウェルネススポーツ大学教授。『カツラーの秘密』『高校野球が危ない!』『招待状のない夢』など著書多数。

川柳:川柳のおもしろさは人間のおもしろさ

川柳は、発祥以来250年に渡ってニンゲンを見詰めてきました。その面白さは、やはり「ニンゲン存在そのものの面白さ」ということに尽きるでしょう。古川柳に、

かんざしも逆手に持てば恐ろしい 

という句があります。男女間のもつれなど「かんざし」←→「恐ろしい」という対立する概念を一句の中で整合性を持たせることにより、緊張感と〈アイロニー〉が生まれます。アイロニーは、皮肉や風刺、反語といった意味ですが、句を構成するコトバとコトバの対立関係により生じる言葉の力学ともいえます。

政治家は落語家よりも笑わせるまさに、出来もしないマニフェストを掲げ保身ばかりに汲々とする今の政治状況のようですが、これはもう30年も前の句で、いかに日本の政治が変わっていないかを如実に示します。笑わせる専門家である落語家より、その場限りの答弁に終始する政治家が「笑わせる」と〈発見〉した時、ここに笑いが生まれます。誰もが感じていて、誰も句にしなかったことを作品化すると、それは作者による発見になります。

まだ寝てる帰ってみればもう寝てる

ご存知、サラリーマン川柳の一句です。一見すると「コトバ遊び」の表面的可笑しさが表現の中心とも見えますが、実は、自分自身を笑う自嘲から、「オレの所も似たり寄ったりだ…」という〈連帯性〉が生まれてきます。「そうだ、そうだ」、「上手いことを言う」といった連帯性こそ、川柳の面白さにつながります。川柳中興の祖・阪井久良伎が、〈川柳は横の詩〉と言った所以です。

真の川柳は、表面的言葉の滑稽さや駄洒落的な物言いにあるのではなく、アイロニーに裏付けられたニンゲンを描く目にあります
その深いニンゲン洞察の目が、わずか十七音という誰にでも作れそうな川柳の形式に結晶したとき、その短く刺さってくるコトバが〈寸鉄〉として働き、読者の心を面白さの渦に巻き込みます。

インタビュー:尾藤 一泉(びとう・いっせん)
川柳家。「川柳さくらぎ」主宰、「川柳公論」編集委員、全日本川柳協会常任幹事、川柳学会専務理事。尾藤三柳は実父。『川柳総合大事典』(編著)など著書多数。

コピー:おっ!と目を驚く。なるほど!と膝を打つ

広告は、基本的には読みたくない。
それが新聞であれ、雑誌であれ、TVであれ、読者は無意識に広告を避けている。コピーライターである私自身、広告のページはとばしてめくるし、CMタイムにはトイレに立つから、この状況は間違いない。そういう宿命を背負っているのが、コピーと呼ばれる広告文なのです。

たいていの文章はお金を出して買って読む。小説はもちろん、雑誌や新聞の記事だって自分の意思で買ったもの。
だから基本的には全部読みたい、読まなきゃ損という意識がある。広告はタダだからね。読まなくたって損はしないし、広告出す方の勝手でしょ、という訳なのだ。かわいそうな広告文なのです。そんなにも読みたくない読者の目を、耳を、釘付けにする。そんな言葉を模索して書いているのがコピーライターだ。

読みたくない聞きたくないと、イヤイヤしている読者を、ふと立ち止まらせる。更には心をとらえる。時として感動さえさせることがあるから、コピーライターを辞められないのでしょう。

さて、どんな言葉がそんな奇跡を生むか。一つは、思いもかけない言葉。
出会ったとき、おやっ、と目が留まる。思いがけない一行が、ページをめくる手を止めさせるのだ。例を挙げる。

「男だって生めばいいんだ」
これは、一昔前のコンドームの広告コピーだ。私、男ですからね。ショックだった。思いもかけない発想。そこから絞り出された言葉。意表をついて心を掴むのです。

もう一つは、心の中でもやもやしていた思いをずばり言い当てた言葉。うまいこと言い当てるなあ!と思わず膝を打つ。これもコピーの真骨頂なのだ。

「ベネトンの一番ちいさい服」
あのベネトンのコンドームのキャッチコピー。ファッションブランドだから服に喩えた。小さい服とはうまいこと言うわねえ!と女たちを共感させる。
驚きと共感。広告の読者が求めているのは、この二つなのです。

インタビュー:岩永 嘉弘(いわなが・よしひろ)
コピーライター。「からまん棒」、「日清オイリオ」、雑誌「ストーリー」などの名前を付けたネーミングの第一人者。『売れるネーミングの成功法則』など著書多数。

作詞:聴いておいしい、見ておいしい

歌詞はメロディーが付いて歌になり、本来、耳(音)のみで勝負しなければならないアートです。だから、「耳で聞いて意味がスッと伝わるように書け!」が鉄則ですが、目(表記)でも楽しめる歌詞カードは作詞家の腕の見せどころでもあり、リスナーが面白いと感じるポイントでもあります。

歌詞カードを見て初めて分かる歌詞の面白さ! たとえば、「5年」と書いて「つきひ」と読ませるルビのテクニックや、歌詞の行頭を縦に読んでいくとメッセージになるテクニックなどは基本的な手法と言えます。2011年に発売されたKAT- TUNのヒット曲(「RUN FOR YOU」)は歌詞を縦読みすると「頑張れ日本」となっていました!

僕のお奨めはダブルミーニングです。
ある言葉が、表裏二つの意味に解釈できるのがダブルミーニングですね。
世界で最も有名な例はビートルズの「Let it be」でしょう。この歌詞に登場する“Mother Mary”は一般的には聖母マリアを意味します(表の意味)。しかし、詞曲を担当したポール・マッカートニーの実の母がMaryなので、“Mother Mary”はポールのお母さんという意味にもなるのです(裏の真意)。

実際、ビートルズ解散の悲しみの時期に、ポールの夢枕に母親が立ち、この言葉をささやいたのだそうです。それに気づいたときの聞き手の感動はさらに大きなものとなります

もう一つ、読者が面白い!と唸る歌詞の神髄は、共感です。リスナーに「あるある!」「自分もそうだ!」などと感じさせることができたら、その歌詞は大成功。誰もが心の奥で感じている(けれど普段は意識していない)ことを歌詞のテーマやモチーフにする。

それに気づいたリスナーは、感動し、面白いと感じるのです。
目と耳を意識し、共感のテーマにダブルミーニングを加味して書かれた歌詞! 皆さんもチャレンジしてみませんか?

インタビュー:野口 義修(のぐち・よしのぶ)
作編曲家・音楽プロデューサー。ヤマハのディレクターとして、あみん、雅夢、アラジンのヒット曲を手掛ける。昭和音楽大学講師。『作曲本』など著書多数。

特集:「おもしろい」の条件
公開全文はこちらから!

※本記事は「公募ガイド2012年11月号」の記事を再掲載したものです。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?