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【短篇小説】クロックポジション


少年が男の首に当てたナイフを引くと、鮮血がほとばしった。まるで花火のように血が噴出する。少年の服にも壁にも赤い花が舞い踊り、ぼんやりと宙を見つめるような顔をしている少女の頬にも、赤い線が幾筋も走った。

ついさっきまで呻き声をあげていた男は、すぐに物言わぬ人形に成り下がった。少年が小突くと、人形は床に崩れ落ちる。
「死んだ?」と少女が訊く。
「死んだよ」と少年は答える。
「急がなきゃ」
「着替えて外に出てて」

男は身寄りのない子供を引き取って育てる慈善家を装っていたが、実際は未成年を奴隷のようにこき使う外道だった。学校にも満足に通わせず、犯罪の片棒をかつがせる。成年に達した子たちはいつの間にかいなくなった。

少年と少女はこの日を狙っていた。主人の男が一人で部屋にいて、他の人たちが屋敷内にいないとき。昼間のわずかな時間しかない。ナイフを用意して、少女が男の注意を惹きつけている間に少年が殺す。予定通りだった。

少年が外に出ると、パーカーを羽織った少女が待っていた。頬に血の痕が残っている。
「汚れてる」と言って手で拭いてやる。
少女は少年の顔を両手で引き寄せ、軽くキスをして微笑む。少年はその手を取って走り出した。

屋敷は森に囲まれている。いったん林道に出て、下っていくと国道に出る。二人は手を固く握って走り続ける。
「きっちりゲットしてきた?」と少女が訊く。
「大丈夫」と少年は答える。
財布もピストルも主人から奪った。

「連絡は?」と少女が訊く。
「tobiに」と少年が答える。
tobiは、かつて屋敷にいた先輩だ。脱走の手助けをするという。国道までは主人の敷地内だ。まずは森を抜けなければ。
「誰か来る!」と少女が警告した。

レバーを引き、グリップを握って安全装置を外して引き金を引くと銃弾は発射される。林道を降り始めたところで、少女が叫んだ。
「二時の方向!早く!」
少年がその通りの方向に撃つと、銃弾が警備の男の眉間を貫いた。

屋敷の大人たちの動きは予想より早い。
「また来る!」
少年は指示されるまま十時や十二時の方向に撃つが、ついに弾切れになった。倒した男からピストルを奪う。あと何発残っているんだろう。二人は林道を駆け降りた。

「また逃亡だって」「意外な組み合わせの二人だね」「あいつらじゃ無理」「逃げられっこない」「どうせ捕まる」「賭ける?」「僕は無理なほうに賭ける」「夕飯まで持つかな」「無理だね」「大人たちは卑怯だからね」

林道の出口に森の管理人が立っていた。人の良さそうな笑みを浮かべている。
「十二時の方向」と少女が囁く。
少年は銃弾を管理人に撃ち込んだ。屋敷と無関係を装って脱走者を連れ戻していたヤツだ。生かす理由はない。

「tobi?国道まで来たよ」と少年は連絡した。
返事を聞いて、電話を切る。少女は管理人の脇に座り込み、リュックの紐を閉じていた。
「目ぼしいものあった?」
「大量」と少女は笑いながら、リュックを差し上げた。

tobiの車の後部座席に二人は座っていた。
「主人を殺したって?」と運転席のtobiが訊く。
「ナイフでスパっとね」と少年が答える。
「お前もすごいな」とtobiは少女に言う。
「そう?」
「目が見えないのに」

少女にほぼ視覚はないが、聴覚が鋭い。少女が敵を察知して、少年が指示通りに相手を撃つ。問題は誰が敵かということだ。
「着いたぞ」とtobiが言う。
廃墟同然のホテルだった。tobiはここを不法占拠していた。

生活用具や家具が散乱している部屋だった。
「まぁ、適当にその辺に座れよ」とtobiが言う。
他には誰もいないと少女は感じた。建物の中にはtobiと自分たちの三人しかいない。
「十二時の方向」と少女は囁いた。

脱走できたら頼れる人がいるという裏情報。希望を抱かせ脱走させてtobiが連れ帰す。何人も騙されてきた。
「十二時の方向。早く!」と少女は叫ぶ。
少年が銃を構える気配がしたが、発射音はしない。また弾切れだ。

レバーを引き、グリップを握って安全装置を外して引き金を引くと銃弾は発射される。少女は管理人から奪った拳銃をリュックから取り出した。
「何の真似だ?」という声。一時の方向。少女は引き金を思いっきり引いた。

「死んだ?」と少女が訊く。
「死んだよ」と少年は答える。
二人は武器を捨ててホテルを出た。
電車に乗って、大きな街で降りた。喧騒が二人を落ち着かせる。
新しい服を買って着替えて、ハンバーガーとパフェを食べた。

その夜、二人は体の関係を持った。お互いに初めてだった。気持ち良かったのかどうだったのか分からない。風呂場で少女は転びそうになった。身体を支える少年に、少女は何度もキスを浴びせた。人間になった気がした。

Epilogue
翌朝は少年が先に目を覚ました。その日は九月一日だった。世の中は今日から新学期なんだろうか。一回行ってみたかったな、高校ってところに。少女の寝顔を見つめる。額にかかっている髪の毛がふわふわと揺れていた。


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