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夜の記録

23時を過ぎて、涼しくなる。

ぼうっと部屋の中にいるとたまに外に出たくなって散歩する。
歩いているときっと少し寒くなるだろうから薄い上着を着て、鍵をポケットに入れて、玄関にいってサンダルを履く。マスクをしていなかった。もう夜だし、人もいないし散歩だし。そう思うのだけれど律儀にサンダルを脱いで部屋に戻って3日前から使っているマスクをつける。マスクって3日も4日もつけていても違和感ないんだ。っていうことに気づいたのはけっこう驚きで、これまで花粉症でもメガネが曇るからマスクはできるだけしなかった私からすると、感染症が蔓延しない限り一生気づかなかったことだろうと思えることの一つだった。

部屋と玄関を往復してやっと外に出る。鍵を閉める。

空は晴れていて月が見える。半分だ。
一日中家にいることは慣れているけれど、そういう日にやっと外に出たときの感覚が好きだ。開放感とまでは言えないけれど、広い空間に出たときのなんとも言えない感覚。そう考えると、人って狭いところにずっといると無意識に狭いって感じているのだろうか。

いつもと同じ方向。いつもと同じ道。狭い道の両側には等間隔に電柱が立っていて、上を見ると何本も電線が走っている。まっすぐなものと螺旋状のものと、その他のものが交差していて、電線越しに空を見るのは隔てるものがない広い空を見上げるのよりも綺麗に感じて好きだから、誰もいない夜の道を上を見ながら歩いていた。

しばらくすると広い道路に出て、横断歩道を渡らなければいけない。信号は3分もすると青に変わる。その3分ほどの間に車はまったく通らないこともあれば10台も通ることがある。そのときの時間と、曜日が影響しているということをなんとなく思って納得する。今日は4台だった。車用信号の赤色と、歩行者信号の青色と、車の白っぽいライトが交錯して、横断歩道を渡る私はその光に照らされる。夜なのに眩しいと感じながら暗い道に歩いていく。

歩いていると、不意に視線を感じて少しの恐怖を感じる。やっぱり夜の不意は怖い。おもむろに視線を向けると、ベランダでタバコを吸っている男性がこちらをみていたようで、いまは塀にもたれかかりながら空を見上げてタバコを吸っていた。そうやって周囲を見て、安心を確認する。怖がることなんて何もないのに。

誰もいない道を、電灯が少ない道を歩いている私は他の人から見たら得体の知れない不審者なのではないだろうかと、この時間に散歩するたびに思うけれど、まだ不審者に間違われたことも、警察に呼び止められたことも、不良に絡まれたこともないから、いつも今日がその日なのではないかと、ここではなぜか怖がらずに、怒らないハプニングを少し楽しみにしている自分がいる。それをこの少しの坂道のを下りながら毎回思う。

東京にはいくつも川が流れていて、私は川が好きなのだった。誰もいないし車も通らないこの時間は川の流れる音だけが聞こえてきて、風がふくと葉が触れ合う音が混ざる。自分の足音と川の音と、葉の音だけ。

しばらく歩いていると、気が済む。
帰り道に、自動販売機の光に連れられてラインナップを凝視する。
いつ見ても、どれも飲みたいとは思えない。これまで一度も買ったことがないまま、私は今日もこの自動販売機の前に立って、何も買わずに帰った。

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