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14日の心の中

最近生活が金太郎飴みたい。
そう思ったのははじめてじゃなくて、何回目かだった。
習慣が定着し、その習慣の中に仕事が包含され、
毎日同じように過ごせるようになった。

それは素晴らしいことだと思っていた。
毎日の過ごし方が画一的に、線で仕切ることができて、
今日は、明日はと見通しがいい。
リズムが狂うこともないから定常的に調子がいい。

だけれども、それはつまらないことでもあった。

彼女はもともと、
毎日が予測もつかない波瀾万丈を日常としてきた。
それは面白いし辛い。
多くの経験があっという間に積み重なるほどに。
朝起きた時から気持ちに身をゆだねる。

朝起きて、あそこのコーヒーが飲みたいと思う。
電車で10分の駅の近くにある喫茶店に行ったり。

18時以降はなんでもする。
電話がかかってきた知り合いからの誘いに、
すぐに向かって知らない人と知り合って飲む。

そんな日常はすごく疲れるけれど楽しい。
ああ、こういうふうに人と人は関わるんだ。
自分のテリトリーに属さない人間の、
その人から出る感情や言葉はいちいち刺激的だ。

おそらく彼女も相手に対してそういう気持ちを、
少なからず抱かすことはできていたのだろう。
そんな日々が続いた。

ある時期から、
それをするのがすごく億劫に感じるようになった。

彼女の中で、本を通して、
既にこの世に存在しない人たちの、
その人たちの言葉に耳を傾け、吸収する方が心地よい。
そう思ったのです。

いまを生きている人なのか、
既にこの世にいない人なのか。

聞こえる声と、読む言葉。
それのどちらがいいだなんて決めることはできない。

けれど、
少なくとも、いまの彼女は、
既にこの世にいない人の言葉を読むことにこそ、
生きる理由を見出しつつあると言っていい。

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