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本当の自分なんて見たくなかった

昔は、たくさんの本や
セミナーに出たり、カウンセリングを受けて、
とことん自分と向き合った。


嫌な自分の姿を見て
どうしようもない自分の姿
変なプライドで取り繕っている自分
相手に媚びを売っている自分

たくさん嫌な自分の姿を見てきた。

自分のことが大嫌いになり、
嫌いがたまりに溜まって怒りになり
相手にぶつけたりしていた。


それで、自分の存在というのを
人に認めてもらったり、
愛されている存在と確かめていた。


時間が経つにつれて、自分自身で、
自己受容が出来る様にしようと
思った


そして、少しずつ自己受容が出来て来て、
自分の感情を受け入れることができ、
感情日記を書きまくって、
自分を受け入れていた。


少しずつ調子も上がってきたし、
自分自身も楽になってきて、
生きやすくなってきたなぁって感じて、
現在まで生きていた。


でもそれもつかのま。


久しぶりにカウンセリングを受けたら、
いかに自分が本当の自分から逃げていたことが
わかってしまった。



自己受容できたふりをしていたし、
自分は何でも出来る。
自分なら出来ると思っていた。


でも、それは違った。


全然、自分を受け入れることなんて出来てなかったし、
自分を大切になんて出来ていなかった。


自分のプライドと欲、そして、自己顕示欲を隠すかのように、


自分を生きていた。


偽りの自分だった。


全部、つもりの自分だった。


自己受容できる自分のつもり
しっかりと将来を考えることが出来るようになったつもり
正論を言って正しいことは正しいと言うことが正解と思っていたつもり
自分はプライドもなくなっていたつもり
自己顕示欲なんてそもそもなかったつもり


すべて、つもりの自分だった。


いやー、こんな自分の姿なんて見たくなかった。


むしろ2020年はコロナ禍にあって
自分の成長を感じていたし、
自己肯定感も上がってきたなって思った。


すごい成長できたじゃんと思っていた。


でも、それは、



すべてつもりの自分を演じていて


本当の自分を見たくないゆえの行動だった。


正直この自分の姿を見て、本当に辛かった
泣きたくなったし、
逃げたかった


なんでこんな姿の自分を見ないといけないの?って思って
カウンセラーのせいにしていた。


でも、どこかで本当の自分を見せてくれて嬉しい気持ちもあった。


凄く辛いけどね。

本当に辛いけど。


でも、良いのかな。


今の自分のままで良い。


たとえ、偽りの自分で生きていても、
プライドや見えばかりの自分でも、
自分のことを大切に出来なくても、
その自分で良い。


でも、どこかでそう思えない自分がいる。
恥ずかしいし、みっともないし、
そう思うことが弱いと思っているからね。


でも、それすらもその自分で良いんだと思うことだなって思った。


どんな自分の姿の自分でも自分。


わたしはわたしなんだと。


だから自分から逃げない。


どんな自分の姿でも自分だ。
ダサくてもいい。
見えを張っていてもいい。

今の自分からめをそらすな!


自分を忘れるな!


どんな自分の姿、感情で良いんだ。


ゆるせない・認められない感情のままで良いんだ。


完璧ではない自分で良いんだぞ。

それが自分なのだから・・・。



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