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Long time no see

とてつもなく久しぶりの投稿です。いつ以来か正確にわからないけれど随分と経ったなと思います。

日記というか雑記というか意味も目的もなく、だらだらと文章を書くことはほとんど毎日やっていたけれど、誰かの目に触れることを前提とした文章を改めて書きたくなったので始めました。いつまで続くかは不明です。

そもそも何故投稿を止めたかというと、きちんと一本の小説を書きあげたいと思ったからです。
今の自分が書きたいものを、書けるものをきちんと作品として完成させて、応募、或いは投稿して自分の作品がどんな評価を受けるのか確認したいと強く思い始めました。
以前は、note用の文章を書いてから執筆してと2時間くらいカフェに滞在していたのですが、そのすべての時間を小説にあてたいと思いnoteをやめました。
しかし、困ったことにnoteをやめても執筆時間は微増で、それでも続く限りはと邁進していたのですが今年の7月に投げ出してしまいました。

作品自体は200Pくらいで書ききることは出来たのですが、推敲は全くしていませんし、何より作品として完成しているのか甚だ不明です。
とにかく前へとひたすらに書き続け、何度も面白くないと痛感し、それでも完成することを目標に、心は幾度となく折れ、ぼろぼろになりながら書き上げる?ことが出来ました。

創作をやっている方ならわかると思いますが、どうしてもモチベーションに左右されます。しかし僕はモチベーションなんかに左右されるのは嫌だったのでとにかく書き続けました。どんなに嫌でもやる気がなくてもです。反対にやる気がある時はとんでもないほど進みます。最終的には1つの作品に注力しましたが、多読ならぬ多筆をするほどやる気に満ち満ちているときもありました。

執筆を離れてもうすぐ4か月が経ちますが、きっと僕は執筆から離れることは一生ないのだろうと思いました。

振り返れば大学生の頃に初めて公の場に自分の作品を出しました。
そこから何度も離れながらそれでも戻ってきます。
常に全力で、片時も離れることのない趣味もあると思いますが、自分のコンディションに合わせながら結局離れられない、そんな趣味もあるのだろうとつくづく実感します。
読書も、映画も、ピアノも、小説も僕の趣味は基本的にそんな距離感の中に存在するのでしょう。
その中でも小説は特別です。
楽しいだけではなく、むしろ苦しいときのほうが相対的な量で言ったら多いでしょう。質ももしかしたら苦しさのほうが上回っているかもしれません。
それでもその瞬間や、こみあげてくるものを形にしたとき、適切な言葉を見つけることが出来た時、何にも代えがたい喜びになります。

10月にピアノ教室もやめました。
一人で弾くことはあっても誰かに習うことは当分ないでしょう。
映画はたまに見に行きますが、頻度は不規則で、それでも映画を見るのは好きです。
だから一番近い趣味は読書でしょう。
3年前から読書記録もして、一年に100冊は読んでいるので、片時も離れていないと言えば離れていない。
それでも一年間で10冊も読まなかった時期もあった。

きっと自分の趣味を循環しながら、増やしながら、減ることもたまにはあるかもしれないけれど、それでも全ては人生の充実のためにあちこちと回るのだろう。

12月に入籍が決まりました。
5年以上シングルからの突然の出来事です。
近々、そのことについても触れたいと思います。
自分の中で何度も書いてきたのですが、完全に闇に葬られる文章と、人の目を意識した文章では、書くことも考えることも思いつくことも違うと思うので自分のためにも書きたいと思います。

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