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【言葉について考える】炎上コピーから2015年のコピーを覗いてみた

(※Twitterで炎上している銀座いせよしさんのポスターに関する、モヤっとしたメモです。気になったので調べた程度なのでゆるいですが、自分用のメモとして。)

「ハーフの子を産みたい方に。」

着物の販売店・銀座いせよしさんの広告。こちらのコピー、「東京コピーライターズクラブ(TCC)」の新人賞で入賞した作品でもあるそうです。
このコピーを中心に、着物を着ているにしては大股な歩き姿なんかも含めて「これはない」「なんでこれが入選したのか」「ハーフはブランドじゃない」「どうせ白人と日本人のって意味でしょ」などなど、Twitterではいろんな批判の声が。

わたしも非常に違和感と不愉快さを覚えた(というより、「え?なんでこれが選ばれた?」という純粋な疑問も強かった)のですが、

というツイートを拝見し、「そうだったのか!」とまずは反省しました。入賞なども昔のニュースだったんですね。Twitterは特にタイムトラベル現象が多く発生するし、突然謎のニュースが飛び込んできたりもします。やっぱりそこまでちゃんと注視しないとダメですね。

…と、ここで「時代の流れか〜」とおさめるのもいいんですが、「2015年ってじゃあどんなのが『フツー』だったっけ?」と気になるわけです。

当時わたしは大学卒業くらいのタイミングで、コピーのコの字も知りません。必死に卒業制作の約20万文字くらいの小説を書いていた()ので、「世間で流行っていたなぁこれ」みたいなのもあまり覚えていないです。

そこで、「2015年 広告コピー」でググってみました。(安易)

1ページ目に表示されるうち、気になったのが以下のリンク。

ダ・ヴィンチの記事にあるように、この頃にはすでに「女性消費者」の心をいかに掴めるかという部分には力が入れられていたのかもしれません。社会の動き的には、2016年4月に「女性活躍推進法」が制定されるなどしています。

今見てみると、どうでしょう。若干きな臭いな(炎上の気配がする)と感じるものもあるかもしれませんが、わたしは概ね「シンプルで前向きなもの」が多いような気がしました。何だろう、軽やかというんでしょうか。手垢まみれになっている感じがしない、なんだか素直で可愛いなーというような。

時代性が見えるものも確かにあります。二世帯住宅の話とか、家族の話とかは、若干「あーあの頃の話ね」感もある。もしかするとここ数年で大きく変わった価値観のひとつなのかもしれないです。あとは「未来が不安定である」といった要素は、この頃はまだ新規性のある眼差しであり提言だったのかもしれないですね。「どうなるかわからない」みたいなことを前提に強く言い切るのは最近多いですが、この頃のコピーにはまだ「そうなるかもしれない」といったやわらかな不安定さの要素が強い気がします。

さらに、2015年にも見事に炎上した広告というのはあったようで、

固定ファンさえついているイメージのあるルミネの広告で、こんな炎上騒動もあったらしいです。全然知らなかったなぁ。(当時からポスターは人気だったんですかね)

2019年にもちらほら見る「女性差別だ」「セクハラだ」「価値を周りが決めるな」の文脈での炎上。やはりある程度、当時からこの価値観は健在の模様。

であれば、冒頭のいせよしさんのポスターも、やっぱり「変」だったのではないかと思ったり。もし、他の同年代のコピーや風潮をみて「2015年の価値観だったんだから仕方ない」になれば、個人的には批判的発言は撤回した方がいいかなと思ったりもしたんですけども。(なんなんあれ…的なツイートをした)
そうは言っても、「数年は耐えられるコピーを考えろ」みたいな定説があるように(今は変化がすんごいので、10年耐久とかっていうものだけがベストではないと思いますが)、ある程度普遍的な価値観、感情、倫理観、人の心の根底にある何かをくすぐるようなものを掬い上げるべきなのも、コピーの特性なのではないのかなぁとも。

ちなみにツイートを引用させていただいた町田さんは、上記のツイートに続けてこのように続けています。

(うんうん、なるほど…)

(確かに確かn、……ん……?)

うーん。なるほど。

多分、
・今の価値観から昔の価値観を叩いても仕方ない
・2015年には炎上もしなかった(多分)広告が今こんなに燃えているのは、この間に価値観が動いたということの表れ。尊い現象。
・そもそも批判する時に「さも今の時代の価値観で作られたもの」という見せ方をするのはフェアではない(ので、元ツイートの方のやり方はあまり良いものではないのでは)

ということを伝えていらっしゃるのかなー?と解釈。
ハーフ云々のところのツイートだけちょっと、読解に引っかかりがあるなぁと思っていたのですが、やっぱりネガティブ(という言い方があってるか微妙ですが)な意味に解釈されている方も多そうな感じでした。本意としては前向きな意味での「変化」(こんなのありえないじゃんって言える人が増えている)なのかなと何度か読み返すうちに思えましたが、「新しい価値観を築けた」という言い方が印象の齟齬を生みやすかったのかもしれないですね。批判的なリプが結構あっておぉ…となりました。

(※わたしの勝手な解釈なので全然意図違いますって可能性もあります。笑)

こんなリプもついておりました。

コピーって本当に、あらゆるところからあらゆる視点で見られるもので、自分が予想もしなかった解釈もされるもの。コピーに限らず、言葉全般はどんなに考え抜いたとしても、そういう可能性を孕んでいるものだと思います。さらにいえば、言葉は残る。100年前の言葉に救われる人もいれば、100年前の言葉に殺されてしまう人もいるのかもしれない。そういう力を孕んでいるものだと思っています。
昨年書いた小説についての講評も、いろいろな方から聞くたびに「なるほどそう読むのか…」という発見がありました。


ついでに、2015年の広告コピーを見ている中で、ほかに「おっ?」と思ったのはこちら。同じく2015年、東京コピーライターズクラブの方(いせよしのものとは別の方)によるSONOKOの広告ポスターです。

「女は、生きてるだけで、ミスコンに強制参加させられている。」

これ自体はどうでしょう。2019年の今、「そうだそうだ!」という風潮と「は?」みたいな声がせめぎ合う図になりそうですね。女性からは共感(までいかなくとも、どこかで心当たりがあるとか)が多いのかなぁ。
ただ、個人的にはこの下に続くのが「本当のキレイは、正しい食から。」なのが「え…結局キレイに繋げちゃうんだ…」という強烈な違和感に。無添加の食品や化粧品を扱うとのことで、言いたいことはわかります。ただこの部分に違和感を覚える人は多そうな気が。どうでしょう。


今年は確か、しょっぱなから西武・そごうの広告が炎上して始まりましたよね。あれも「女の時代」を扱って、既存の女性像をどうにかしようみたいな文脈の試みではありました。

(個人的所感もめちゃくちゃこれだったのでもう何も言うまい)


何れにしても大手クライアントだろうし、書いた人はきっとこのポスターの完成をわくわくして心待ちにしていたんだろうなぁと思う。何十本も何百本も出して、立場やメリットの違う関係者たちに色々言われて、ようやく決まった一本のコピーだったのかもしれない。

こういうことがあるたびに、コピーライターに限らず「言葉を扱うということ」について、改めて考える機会になります。なんか色々な意見が流れてくる中で、自分の所感も留めておきたいなぁと思っての突発的noteでした。


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なかにし(藤宮ニア)

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青い青いうみのそこ、そんな場所を遺せるように。AC/ADHD/ASDの物書き//藤宮ニア名義の著書「リトルホーム、ラストサマー」NovelJam2018秋 花田菜々子賞受賞//過去のお仕事https://nakanishi-suzuka.tumblr.com/