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「思うことがなければ、何も書けませんね」と彼女は言った

青山スパイラルで開催中の「向田邦子没後40年特別イベント『いま、風が吹いている』」に行ってきました。

向田さんの生原稿や、万年筆、お気に入りの洋服といった愛用品もたくさん展示されていて、ご自身で録音された留守電メッセージが聞けるコーナーもあります。

「風の塔」というコーナーでは、向田作品の一節が記された紙が、会場内に設置された塔のてっぺんから、ひらりと舞い降りてきます。
「お一人一枚までお持ち帰りいただけます」
とのことで、私がもらって来たのはこちら。

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長い人生でここ一番というときにモノを言うのは、ファッションではなくてことばではないのかな
「ことばのお洒落」/夜中の薔薇


向田さんはラジオやテレビドラマの脚本家として活躍され、その後小説も書きはじめたところ、わずか半年で直木賞を受賞されています。
受賞後に『徹子の部屋』に出演されたときの映像も流れていて、
「私の文章は一文が短くて女らしくないと言われるんですけど、それは脚本のト書きの影響です」とのことでした。
(脚本のト書きは、簡潔で分かりやすいことが重要です。)

「最近、小説やシナリオを書きたいという女性が増えていて、『どうやったら書けるようになりますか?』と訊かれることも多いんです」
という話もされていて、
「『書く技術』というのは、大きな氷山のほんの一角でしかないと思います」
とのことでした。
では、氷山の大半の部分は何なのかと言えば、「考えたり、思ったりしていること」。
「これがたくさんある人は、何かきっかけがあれば書けるものなんじゃないかと思うんです」
という言葉の後に、さらりとこう言い添えられていました。
「思うことがなければ、何も書けませんね」

口調は穏やかでしたが、物を書く人間にとっては、怖い言葉だと思います。
愛用品の展示を見てはしゃいでいた私は、いきなり冷や水をかけられた気分でした。

書く技術を学ぶことは、「書けるようになるきっかけ」にはなり得ると思います。
でも、その技術を学んだ上で何を書くのかといえば、書き手が思うこと、感じること、考えることに尽きるわけですよね。
まさに「何を思い、感じ、考えているのかが氷山の大半」なのであって、それはつまり、「日々をどう生きているのか」ということだと思うんですよ。

「書く技術を学ぶと、画一化して個性が消えるんじゃないんですか?」と言う人に時々出くわすんですが、技術を学んだぐらいで画一化なんてするわけないんですよね。
それは所詮、氷山の一角でしかないんですから。
「何を思い、感じ、考えているか」にこそ、書き手の個性があるわけで、「深く思い、感じ、考えること」をしていない人は、そもそも書くべきことを持っていないし、守るべき書き手としての個性なんて、存在すらしていない。
……ということを、改めて突きつけられた気がします。

「思うことがなければ、何も書けませんね」
怖い言葉ですが、書くことを生業とする者、それを目指す人にとっては、逃げずに向き合わなくてはいけない言葉だとも思います。

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