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私は今日、「物語の力」を再発見した

最近よく、TED Talksを見ていまして、つい先ほどこちらを見終えました。

『親切で、優しい成功哲学』というタイトルから、「たったこれだけで成功者になれる3つのルール!」的な内容かと思ってしまいそうですが、さにあらず。
多くの人が「誰もが成功者になれる」と信じている実力主義の時代に起きる、心の問題について語られています。

中世のイギリスでは、貧しい人は「不運な人」と呼ばれていた。
けれど現在は、「敗者」と呼ばれてしまう。
生まれつきの身分制度がなく、実力さえあれば誰もが何者にでもなれる社会は素晴らしいものだけれど、副作用もある。
なりたい自分になれないとき、人はそれを「不運だから」と考えることができず、「自分に能力がないからだ」と自分自身を責め、苦しまなくてはならない。

……といったことが語られています。
これを聞いていて私は、2018年現在の日本の状況を予見しているようだと感じました。(収録されたのは2009年。)

「誰だって、本気で望めば、なりたい自分になれる!」
という考えが広まるほど、その影で「望んだ自分になれない自分」を過剰に責める人が増えているんじゃないかと、私は数年前から感じています。
自分を責めるだけじゃなく、苦境に立たされている他者を「自己責任だ」と突き放す人が増えている気がするのも、実力主義の副作用じゃないかと思うんですよね。

この講演者も言っている通り、どれだけ実力主義の社会になろうとも、人生には、偶然に左右される要素がたくさんあります。
「自分に対しても他人に対しても、『起きたことすべてに責任を取れ!』と求めることなんて、できないんじゃない?」とモヤモヤしながらも、
「だからと言って、私に何ができるわけでもないよね……」
という思いを抱えてきました。

ですがこの講演者は、「悲劇」の存在がこの問題に役立つと言うのです。
『オセロー』や『ハムレット』といった物語をきちんと味わえば、その悲しい結末を「自己責任だ」「こいつは怠惰な負け犬だ」と感じる人はいないはず。
人間はときに大きな不運に見舞われ、ときに自分を見失ってしまうことだってある。
悲劇の登場人物たちに感情移入し、物語を味わうことで、それを知ることができる、というわけです。

私は「物語をつくる」ということを仕事にしているのに、このことをきちんと認識できていなかった……というか、忘れてしまっていたような気がします。
「私に何ができるわけでもないよね」
というのは見当違いで、むしろ、
「物語をつくる人間だからこそ、できることがある」
ということだったのだと気づき、今、目から鱗がぽろりと落ちたような気がしています。

因みに、この講演の中で私が一番好きなのは、タブロイド紙の記者に頼んで、有名な「悲劇」にタブロイド的な見出しを付けてみてもらったという箇所。
『オイディプス』がタブロイド紙に載るとしたら、見出しは、
「ママとのセックスに盲目!」
となるとのことで、思わず声を出して笑ってしまいました。
それと同時に、こういう”タブロイド的視点”(日本人としては”ワイドショー的視点”といった方がしっくりくるかな?)の怖さも改めて感じたんですよね。
「脚本家は、ワイドショーコメンテーターの対極にある仕事」
というのが私の持論です。
ワイドショーは、どんな複雑な事件でも、その背景や原因を端的に解説して、視聴者に「なるほどねえ」と思わせ、何となく”わかった気分”にさせてしまう。
でも多くの場合は、限られた情報を基に、よりわかりやすく、よりスキャンダラスに要約をしているに過ぎず、それはまさに、『オイディプス』を「ママとのセックスに盲目」とまとめるようなことでしかないと思うんです。
こういったワイドショー的な視点では絶対に描かれない機微を描き、観てくれる人たちに感じ取ってもらうことも、ドラマや映画の存在意義だと私は思っています。

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