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言葉を見直す、9日目。


天気予報を見ていて、
ふと気が付く。


『人間って、すごいじゃないか。』

日本人、すごいじゃないか。
・・・でも、いいのだけど。


(^^)”人間嫌い”を
30代までしてきたから。
(今も、3割くらいの名残あり。)


人間の嫌なところは
すぐに、目に付く。


個人的には
素敵な人たちがたくさんいる。


そこは社会人として
よくわかっているのだけど、


「人間」という言葉に


私はいい印象を持ってこなかった。

暖かさも、
感じたことがない。

(個人の、直接会うレベルでは充分に感じているけど。)


基本的に、
私も同じ人間なはずなのに「警戒心」を働かす。


それでも。


今日は、
”動いていく天気図” を見ていた時に


衛星画像が
当たり前の現代になってはいるけど。


「よくここまで
 雲の動きを把握できるようになったね。」と


ニンゲンを、
初めて褒めたくなった。


かつては「神がかり」的だっただろう
台風の動きも、


ある程度の予測は、できている。


おかげさまで
備えられる日々の生活。


予定の変更をするかどうかは
本人次第、だけど。


ここまではっきりと
大きな台風が来る、と宣言しているのに


車を走らせてしまい
動けなくなる人たちも、いる。


動かせない家屋は、
どうしようもないけど


最悪の事態に
備えることは、可能だ。


最終的には
個人に任せられている判断。


誰かのせい、ではないはず。


台風や大雨には、
大きな影響を受けたことがない


そういう前提がある、視点では。


この時期の雨風は
夏場のおひさまの熱に浮き上がった


いらないものたちを
きちんと、流してくれる。


普段、人間の手が届きにくい
家の屋根の上や、大きなビルも


しっかり洗浄してくれるし。


街中のホコリだけじゃなく、
自然界に至ってしまった


人間が流した埃やゴミたちも
川を経由して、海へと流す。


普段は見えていなかったのに、
辿り着いた先の


海の大量のゴミを見て
『人間のしていること』を


より明らかにする。


言葉は、個人に由来する。


人間には、いい印象があっても
台風には、嫌な思い出しかない。


そういう人たちも
もちろん、多数いらっしゃることだろう。


人間だけが
言葉を使い、コミュニケーションできる。


でも、
コミュニケーションを知らないままに


大人になってしまった!



そういう人たちは、
「それは間違っている」と


自分の中の、言葉の意味だけを
「世の中の正解」だと思い込んでしまう。


日本語だけが
自然界に調和できるというから


自然界とだけじゃなく
同じ人間界でも、調和するはず。


効率化の中に
即決したくて、言葉のやりとりを


楽しもうという
ゆとりが、長く失われていただけの話。


祖父母世代も
両親世代も、


働く、お金を稼ぐ、に必死だった時代。


やっと私たちの世代になって


人の心や言葉を、
冷静に観察できるようになった。


子供たち世代には
言葉の意味が


360度、もしくは球体で
いろんな側面があるってことを


伝えていきたいと、思う。



天気予報の大雨情報が、届いて。


スマホの地元画面も、大雨に。


それでも。


窓の外は、日が差して明るい。


そんなことは
「当たり前」だということ。



目の前の情報は
個々に、明らかに見えている。


”他の誰か”が
予報を出さなくてもいい。


”遠くにあるどこかの会社”が
正確な情報を提供しなくていい。


雲の動きは
人と同じ、アナログの存在。

























































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