菌血症/そしてぼくはいなくなった
9月20日。昼の面会時間に母を訪ねた。相変わらず体の具合は良さそうだ。
入院診療計画書には病名『黄色ブドウ球菌菌血症』とあった。母の様子を見ると早めに退院できそうだし、本人も早く帰りたいと考えている。だがこれは、ぼくたちが思っている以上に重傷の病気だった。
夕方に主治医の先生から病状を詳しく伺うことができた。ぼくが付き添った救急外来での採血。採ったその日にはすべてはわからないという。翌日にブドウ球菌が増えていることが確認できて入院となった。
血にばい菌が混じる『菌血症』。本来、血液は無菌であるはずのものだ(ウイルスは混じることがある)。そこにばい菌が混ざってしまうことは、ぼくも含め一般の方が考えるより重症なことだと言われた。呼吸器をつけることも多いようだ。母は普通に呼吸できているのでよかったなと。
どこからばい菌が入ったかは不明。痛みを訴えていた右肩のCTを撮るも、どうも違うようだ。ぼくは母の足にあるくるぶしのこぶ(滑液包炎)が怪しいと思って先生に聞いてみた。感染の経路としてはあり得るが、他の検査もいろいろした結果を見ると不明としか言えないとのこと。
治療としては決まっていて、まずは抗生剤の点滴だ。点滴を続けるために入院が必要で、その期間は最低でも二週間!これは完全に甘く見ていた。その後は飲み薬に変更して、外来で通院する方針になる可能性も。ただ、やはり休み明けの19日に主治医が決定したばかりで、見通しはまだ立たない。今は治療に専念できるようサポートするのみだ。忙しい中だというのに、とても丁寧かつ親切に説明してくださってありがたかった。よろしくお願いします。
帰りがけに本屋へ寄る。予約していた漫画を受け取る。あと、メンタル不調でもしかしたら取りに行けないかもしれないと、心配させてしまう電話をかけたことを謝った。事情を話すと、顔なじみのスタッフさんたちは心配して声をかけてくださってうれしかった。いつもお世話になってます。好きな本が読めるのはここの本屋さんのおかげです。ありがとう。
帰宅すると家事をこなして、訪看を受ける。ここ最近の話を報告したり、ほぼ愚痴を垂れ流して聞いてもらったり。訪看がなかったらぼくはもっと孤立していたのは間違いない。
だが!!ここからが問題だった!!
父が帰宅した。胸が苦しくなくなって、だいぶ顔色も良くなっていた。
そして、いつもの父に戻っていた。とにかく母のことを心配する。ぼくが家事も食事もお見舞いも先生との連携も取っているのに、ぼくのことは聞くと教えてくれるロボットだと思っているようだ。ぼくはまた感情の海に沈んだ。積み上げても崩され、積み上げても崩される自己肯定感。あまりに空虚になり、これはまずいと感じ始めた。
「──ぼくも精神病院へ入院するかもしれない」
その答えに恐怖した。
「お前が入院したら、母の面倒とか生活のことはどうすればいいんだ?」
あなたのめのまえにいるのはだれですか?
むすこではないのですか?
ははのことではないたのに、ぼくにはしんぱいもせずじぶんたちがこまるというのですか?
不安障害が最も恐ろしい不安を感知した。父だ!この家だ!こんなところにいたら存在が殺されてしまう!父に怒りを覚えたことはいくらでもあったが、恐怖したのは初めてだった。この人はぼくを何だと思っているんだろう。お手伝いロボットか? 召使いか?
吐き気がした。すべて吐いて裏返ってしまえばいいのにと思った。
逃げたかった。ここではないどこかへ。ここにいたくない。いたくない。ここではぼくは透明にさせられる。ぼくの心を踏み潰しては、それを楽しんですらいないのだ。父は何も考えていない。底がない空っぽだ。ぼくがいくら言葉で伝えても、少しの意味も価値もない。だから、ぼくはここにいてはどこへもたどり着けないのだ。
スタエフの友人たちに話を聞いてもらった。少し前に録音したラジオで泣いてくれた人、自分の生き方を選ぶことで勇気をくれる人、同じく不安を抱えながらもあたたかなイラストと言葉で励ましてくれる人、他にもたくさん助けてくれて、認めてくれる人たちがいる。
他人の方がやさしい。
血縁なんて関係ない。
自分が大切にしたい人を、大切にする。
自分を大切にしてくれる人を、大切にする。
自分を大切にしてくれない人は、それなりに。
自分を一番大切にできるのは、自分だ。
これを読んでくださった方、励ましてくださった方、言葉にせずとも見守ってくれる方、みんな幸せになってほしい。
その中にぼくも居たいけど、まだその勇気はないのだった。
そしてぼくはいなくなった。
家という絶海の孤島から抜け出して、自分だけの世界を見つけるために、いかだを作り始めよう。
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