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【自己紹介】異文化をまたぐ人生

noteを始めるにあたって、私がどのような人生を歩んできたかを簡単に知っていただきたく、この記事を書くことにしました。

私は、1995年生まれの現在28歳、アメリカ・カリフォルニア州在住です。
アメリカにはまだ1年しか住んでおらず、それまでは人生の大半をイタリアで過ごした後、就職で日本・京都の企業で働いていました。

日系企業(製造業)の人事部で主に新卒採用業務に従事したのち、夫のアメリカ赴任に帯同し、今に至ります。これまでの人生・業務経験を活かし、今はアメリカから日本のスタートアップの人事部門立ち上げ在日外国人の就労・社会保険関連手続きのサポート異文化理解を深める研修/コンサルティング活動などを主に行っています。

もっと詳しく知りたい方は、下記まで読み進めていただければと思います。


CSから人事へ

日本で生まれ、8歳でイタリアへ。以降、大学院修了までイタリアで過ごしました。大学・大学院ではComputer Science(以下CS)を専攻し、AI・データ分析などを中心に勉強しました。

CSを学んだのになぜ人事界隈に生息しているかというと、「直接的にCSの知識を活かすよりも、別のフィールドを活性化させるために活用する方が自分には向いている」と考えたからです。

大学・大学院では、プログラミングが大好きなエンジニアたちばかりで、正直この人たちのテンション・パッションには到底ついていけないと、ある意味挫折を覚えました。彼らより成績は良くても、これを人生の仕事にはできないなと感じたのです。みんなが本当に楽しそうにプログラムを書く姿を見て、これから長い人生、心から楽しいと思えることじゃないと持続的にやっていけないな、と思ったのです。

とはいえ培った知識は活かしたかったし、どの分野でもデータ分析やAIの知識は活かせるだろうと思ったので、なんとなくデータがいっぱいありそうで、かつ、それを活用できてなさそうなw 人事界隈に飛び込んでみることにしました。

また、イタリアに長年住んだこともあり、日本をもっと知りたいという気持ちがありました。そのため就職活動(ボスキャリ)は外資系はほぼ受けず、最終的には京都の老舗メーカーに入社を決めました。

日系メーカー人事部での経験

職場を離れるまで丸3年、京都の老舗メーカーの人事部・新卒採用の業務に従事しました。自分自身、一般的な日本の学生が行う就職活動を知らぬままボスキャリに迷い込み、あれよあれよという間に就職先が決まっただけの人だったので、日本の新卒採用という壮大なる活動に非常に大きな驚きを感じました。

内定式って何?必要?新入社員研修?え、合宿?w w 嘘でしょw という具合で全てが新鮮に映りました。言葉を選ばずにいうと、滑稽に見えたこともいくつかあったのも事実です。もちろん、経験を積むうちに目的や意味を考え、素晴らしいと思った取り組みだったり、学生への配慮などに感銘を受けたこともありました。ただ、知れば知るほど、この「新卒採用」というものは日本独自路線を突っ走っており、ガラパゴスな分野だなあと感じることは多かったです。

新卒採用は1年以上かけて学生を採用する壮大なプロジェクトで、母集団形成から入社まで様々なフェーズ・施策があります。従事者が比較的少なかったこともありフェーズごとに分業化ができていなかったのが、私にとってはとても良い経験となりました。というのも、たった3年の経験で新卒採用の全てのフェーズを3回転でき、個々の業務ではなく全体感を捉えながら仕事することができました。(他社では、母集団形成のチーム、内定者フォローのチーム、などと分かれていることもよくあると聞きます)

日本からアメリカへ

夫が2年のアメリカ赴任を言い渡され、2022年10月にカリフォルニア州に引っ越してきました。もっと働きたいという思いが強く相当期間悩みましたが、最終的には職場を離れることを決断し、今に至ります。

先ほども述べた通り「新卒採用」は日本独自のルールで進められています。今までは多国籍な人材ポートフォリオを持っている/目指している日系企業はほぼ存在しなかったため、日本のマーケットのみで人材を揃えていけばよかったのでしょうが、これからも競争力を保ち続けるのであれば必然的に多様な経験を持った人材(外国籍に限らず)を取り込んでいく必要があります。すなわち、今までの「新卒採用」のフレームワークを柔軟に変え、必要な人材を確実に採る力を身につけることが大事になってきます。

このまま、大企業の中でいずれ廃れることがほぼ確実な「新卒採用」をやっていて良いのだろうか?という疑問を感じ始めた頃に、ちょうど現場を離れることになったのです。3年の新卒採用の業務経験を経て、人事のプロフェッショナルとしてこれからもやっていくなら、専門知識を身につけないといけないな、という危機感を覚えるようになりました。

そこで、社会保険労務士の資格を取るために勉強を始め、その知識を活かしてイタリア人が日本で働く上での契約面・社会保険手続きのサポートなどを始めたり、スタートアップでの人事部門立ち上げのお話をいただいたりなど、リモートでもできることを精力的に活動しています。

私は結局、何人なのか?

日本からイタリア、イタリアから日本、そして日本からアメリカへ。
国籍は日本を選択したので、私は日本人です。ただ、イタリア人でもあります。どっちでもあり、どっちでもない。そんな異文化をまたぎ、ミックスである自分が、自分自身だと今は思っています。

思春期は自分のアイデンティティを考えることが増え、この件についてはかなり色々考え、悩みました。自分は何人なのか?と。その答えは明確には出ませんでしたが、今はそのミックスの自分を受け入れ、誇りに思っています。

私が入社した老舗日系メーカーでは「海外経験のある日本人」という風に扱われていました。それは間違っていないのかも知れませんが、どことなく違和感をずっと感じていました。というのも、日本で過ごした期間はイタリアで過ごした期間よりも圧倒的に短いのにも関わらず、日本の礼儀・作法、「日本人らしさ」を求められている気がしたからです。でもそれは、顔がいわゆる外国人で日本語がカタコトの同僚には、求められていませんでした。

多様性というのは国籍で決まるものなのでしょうか。その人が持っている考えや経験や多様な知識がdiverseだからこそ、組織が活性化するのではないでしょうか。もちろんそこに、出身国や国籍の要素が無いわけではありません。ただ、「日本人」「イタリア人」と明確に色分けすること自体に、どこまで意味があるのかは疑問に思います。※この件については、また詳しくnoteで書くことにします。

こうした実体験を踏まえて、異文化理解・異文化間コミュニケーションなどのコンサルティング活動も行っています。

さいごに

こうした実体験を踏まえて、多様性、異文化理解・異文化間コミュニケーションなどの書籍・論文などの紹介を主に本noteで行っていきます。

また、異文化理解・異文化間コミュニケーションに関するコンサルティング活動なども行っていますので、もしご興味がある方がいらっしゃいましたら、個別にご連絡ください。

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