和歌・無常であればこその美しさ
「世間(よのなか)を何にたとへむ朝びらき
漕ぎ去(い)にし船の跡なきがごと」
万葉集巻3・351
(この世の道理を何にたとえよう。
朝がきて漕ぎ去ってゆく船の跡が水の上に残らないように、儚く無常なものである。)
ある人が年老いて死んだ後100年もしたら、
その人のことなんて誰もわからなくなるだろう。
船の跡が消えてしまうように、結局のところは自分が生きてきた軌跡さえも残らないのだ。
それほど無常なのが世の通りである。
この歌はそこに寂しさを感じているが、
わたしは決してむなしいことだとは思わない。
人類が誕生して歴史が始まってから
過ぎ行く時間の流れを大河だとしたら、
わたしが生きていたことなんて
たった一粒の水滴。
でも、それでいい
いや、それがいいと思っている。
それが「自然」のなすがままであり、
わたしはそこに還ってゆきたい。
人間のちっぽけなエゴを捨て、大河の一滴として、いつか消えてゆくのだ。
今ともに生きとし生けるものたちと。
それは決してむなしいことなんかじゃなく、
うつくしい命のあり方だと思う。
そう思いませんか。
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