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文士語録

下の記事に登場させた【35歳・男性 文士】とゆ〜己の脳内キャラの語録っぽいものを考えてみました。

己の脳内キャラの記事
その1その2その3その4その5SS

因みにこの文士、令和3年現在で35歳でいつも和服着てるとゆ〜イメージです。

では以下、文士語録となります。

我が國の代表的なアヰスクリヰムの商品で有るチヨコモナカジヤンボの優れたヱツセンスは、アヰスクリヰムなのにも関わらず単に舐めるだけで無く我々人類の噛むと云ふ欲求をも満たしてくれる処に有る事を私は昨今得心したので有る。又、アヰスキヤンデヰのガリガリ君も同様の存在で有る。


論理的なるものを上とし感情的なるものを下で有るとする風潮が我々のソサヰエテヰには存在するが、其のやうなヒエラルキヰは我々人間が脳内で作り出した虚構に過ぎず、実際の処は論理的なるものも感情的なるものも我々人間の脳の只の一つの機能に過ぎず其処にヒエラルキヰ何ぞ一切存在しないので有る。


私の日常は目醒めに飲む一杯のコオヒヰでスタアトする。


ソクラテスが云ふ処の無知の知とは、己が馬鹿で有る己が阿呆で有る己は愚かで己は必ず間違ふ存在で己より優れた人間の方が多ひのだと考へる処からのスタアトが其の条件と成る。


若人はオナニヰを恥ずかしがる必要何ぞ無ひ。



おまけ

過去記事の(35歳・男性 文士)のコメントです。

「パロデヰと云ふ形式は時として其の元の対象への冒涜を孕むことが有り、又、笑ひとは他者への侮蔑を内包してしまふものでも有る。」


「人間の糞少便とは其の全てが、須らく其の人間の身体内に貯蔵されてゐたもので有り、大凡その段階では穢れたものとして取り扱われてはゐないので有る。遵つて糞少便とは、その存在が人体から乖離した段階で初めて糞少便と成り得るので有る。人体に貯蔵されている段階の糞少便は糞少便とは認識されてゐない何か別の存在、身体組織を構成してゐるもののやうな何らかの存在として無意識に捉えられてゐるものなので有る。」


「鯨と云ふ哺乳類を仲間で有ると捉える論説が我々の住むソサヰエテヰには存在するが、大凡我々人間が仲間だと認識する生き物とは実際の処、仲間だと評価した人間の主観的な思ひに由来してゐるに過ぎなひ存在なので有る。從つて、鯨やその他生き物が果たして我々人間の仲間で有るか否かと云ふ命題は、何処まで行つても其れは主観的なもので有り、其の命題に対しての明確な境界線何ぞ引きやうがないので有る。」


「我々人間と云ふ生き物は我々人間以外の霊長類を見て其れを嘲笑ひ、又、其れを道化のやうな存在として扱ふ。然れども我々人間よりも上位の存在、喩へば西洋文明に於ける基督教の神のやうな存在や、我々人間よりも知的訓練に優れた地球外部の知的生命体と云つた存在が仮にも此の世にゐたとすれば、其れらの存在にとつては我々人間何ぞ、我々人間が嘲笑ふ我々人間以外の他の霊長類と同様の存在に成り下がるので有る。我々人間よりも上位の存在が此の世に仮にもゐた場合、喩へば我々人間がチンパンジヰのソサヰエテヰを嘲笑ふのと同様に、其の上位の存在は我々人間のソサヰエテヰを嘲笑ふので有る。此の事は或る種の入れ子構造と云つて良ひ。」


「性行為や其の周辺の行為並びに性器と云つた事柄を猥褻で有る破廉恥で有る卑猥だ不埒だ不謹慎だと捉へる風潮は、文化人類学的には基督教文化圏の影響が大きひとされる。
性行為や其の周辺の行為並びに性器と云つた事柄は、時代や地域が異なれば当然の如くに其れ等に対する認識も異なるので有る。
事実、其れ等が多産や豊穣を齎してくれる存在で有るとしてトホテム化(象徴化)されてゐたソサヰエテヰがかつての我が國にも存在してゐたので有る。」



非常〜に読みづらいですね💖


 

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