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ショートショート 「ナマケモノの恩返し」

昔むかし、あるところにおじいさんとおばあさんが住んでいました。
ある春の日のこと。
おじいさんはゴルフ場へ芝刈りのアルバイトに、お婆さんはコインランドリーへ洗濯をしに行きました。
おじいさんはいつも国道を歩いて通勤していましたが、この日は一部区間が落石のため通行止めになっていました。
仕方なく並行して走る山道に入ったおじいさんは、その道中、木の根本でぶっ倒れているナマケモノに遭遇しました。
放っておけばいいものを、心優しいおじいさんは背後から両脇を抱え上げてナマケモノを木の幹に掴まらせてやりました。

「近くで見てみるとちっとも可愛い気がないのう。はっきし言うて不気味なツラじゃ。くさいし」

おじいさんはナマケモノが無事木に掴まったことを確認すると、「達者でな」と言い残して職場のゴルフ場に向かいました。
帰る頃には落石の除去作業が終わっていたため、おじいさんはいつも通り国道を通って家に帰りました。
帰宅後、おじいさんはおばあさんに今日あった出来事を話して聞かせました。
ツムツムに興じながら生返事をするおばあさんの背中から部屋の隅に視線を動かすと、ゴルゴ13の126巻と131巻が積んで置いてあるのが目に入りました。

「ほう。ばあさまはゴルゴが好きじゃったのか? 長年夫婦をやっていてもまだまだ知らないことがあるもんなんじゃのう」
「いや、別に好きということもないんじゃよ。ただの暇つぶしじゃ」
「ふーん。しかしなんでまたこんな中途半端な買い揃え方をしたのじゃ?」
「買いはせん。コインランドリーからパクって来たんじゃ」
「いかんぞ、ばあさま。人様の本を盗んだりしては」
「構わん構わん。誰にも見られてはおらんし」
「そういう問題ではなかろう。それにコインランドリーにはたいてい監視カメラが付いておるではないか。ばあさまだってそんなことぐらいは知っておろう」
「じいさまや。前々から思うとったことじゃが、あんたは気が小さいところがあるのう。コインランドリーの経営者とて漫画の1冊や2冊盗られたところでわざわざ犯人を探したりはせんじゃろ。万が一足が付いたとしてもその時はその時。しれーっと返してやればいいだけのことじゃよ」
「乱暴じゃ、ばあさま。その考え方はあまりにも乱暴じゃ」
「出掛けて来る」
「ど、どこへ行くんじゃ...」
「聞かんでくれ」
「メシは...」
「長い間お世話になりました」
「お、おい...ばあさま! 行くな、行かんでくれ〜」

それから一年が経ちます。
この年、おじいさんの人生にはおばあさんの家出を始めとしていろいろなことが起きました。
春。ひとり住まいになったおじいさんを心配した娘夫婦から「らくらくスマートフォン」を買い与えられる。
夏。村の酒屋がコンビニに業態転換したのを祝う席で、となり村の権兵衛と取っ組み合いのケンカをして怪我を負う。全治2週間。
秋。仕事中足を踏み外して池に落ちる。以降、足首の痛みに悩まされるようになる。
冬。三人目の孫が生まれる。

それからまた一年。
この年も悲喜交々いろいろなことがありました。
春。飼っていたマルチーズが死ぬ。享年12歳。
夏。村祭りのカラオケ大会で大川栄策の「さざんかの宿」を歌って入賞する。
秋。橋の上からぼんやり川を見下ろしているところを警察に保護される。
冬。おばあさんが約2年ぶりに家に帰って来る。はじめこそギクシャクしていたものの、間に入った娘婿の助けを借りて関係を修復。これをもって老夫婦の絆は一層強固なものとなる。

いっぽう山の中では...。
ナマケモノは助けて貰ったその日から木を登り始めました。
そして2年の歳月を掛けてようやく上のほうまで登り詰めると、せめてもの御礼にと、手が届く範囲に生っているなかで一番大きな木の実を捥ぎました。
ナマケモノはそれを握り締め、おじいさんの家を目指して木を下り始めました。

そして今年。
おじいさんは満80歳でその生涯を終えます。
春。親戚一同から魚民で傘寿の祝いを受ける。
夏。肺癌が見つかる。即時入院。この時すでにステージ4。 
秋。放射線治療を拒否し、自宅療養に切り替える。
冬。おばあさんを始めとする家族や親戚縁者及び近隣住民らによる手厚い介護を受けながらも病魔には勝てず、12月のある日の午後、おばあさんに看取られながら自宅で息絶える。

おじいさんが亡くなってから4ヶ月後、4月中旬の山の中。
ナマケモノは木に掴まりながらおじいさんの家のほうを仰ぎ見ています。
東風がナマケモノの体毛をまるで潮の流れにさらされた海藻のように揺らします。
…おや、頭上で聞き覚えのある鳥の声がしましたね。
どうやら夏鳥が森に帰って来たようです。
がんばれ、ナマケモノ。
地上まであと1.8メートルです。

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