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ショートショート 「考えない葦」

夕食後、リビングで寛いでいると、息子が俺の元へやって来て言った。

「父さん。僕、サッカーやめるよ」

まただ。
こいつはなんでもかんでもすぐにやめてしまう。
ピアノは2ヶ月、水泳は2週間、風水セミナーなんか2日でやめてしまった。
このままでは堪え性のないろくでなしに育ってしまうに違いない。
俺は息子に尋ねた。

「サッカー、つまらないのか?」
「ううん。面白いけどヘタだから」
「あのな、口酸っぱく言ってるように最初は誰だって…」
「練習しても上手くならないんだよ」
「なにが?」
「サッカー」
「この野郎…」
「怒んないでよ」
「なにが上手く行かないのか具体的に挙げろっつーの。ドリブルとか、トラップとか、ヘディングとか、マルセイユルーレットとか色々あんだろ?」
「全部」
「バカ」
「はーい。バカでーす」

息子はこの「はーい。バカでーす」を右手をまっすぐ上に挙げて、元々アホみたいな顔を更にアホっぽく歪めて言った。
世が世なら殴っていたと思う。

「なんだって…?」
「僕はバカでーす」
「認めるのか?」
「うん。だって父さんの子だもん」
「は…? お前、いまなんつった!?」
「父さんの子だもん」
「もういっぺん言ってみろ!」
「父さんの子だもん」
「クソ。3回も言いやがったな!」
「父さんが言えって…」
「高卒だからって俺のことバカにしてんだろ?」
「そんなつもりは…」
「学歴差別だぞ」
「そんなことひと言も…」
「言ったも同然なんだよ。やーい、差別主義者」
「…ってかさぁ、その学歴コンプレックスなんとかしたほうがいいよ」
「…」
「と、父さん…?」
「んがぁぁぁー!!」
「ひぃっ!」
「ふんっ、ふんっ、ふんがぁぁぁー!!」
「落ち着いてよ、父さん」
「はぁ、はぁ、はぁ…」
「ごめんごめん、僕が悪かったよ」
「いま、お前の話をしてんだろぉ!?」
「そ、そーだったね」
「おい…」
「はい」
「このままだと、しょーもない大人になってしまうぞ」
「しょーもない大人って、どんな大人?」
「例えばだな、まだ40代半ばなのに、定年間近の先輩社員を差し置いて真っ先にリストラされちまうような大人だよ」
「ヤだなー。そんなんなりたくないわ」
「だろ? で、そんな時にこそ支えてくれるはずの嫁さんにウチを追い出されちゃったりしてさ…」
「最悪じゃん」
「だろだろ? それでよぉ、にっちもさっちも行かなくなって兄弟んとこへ転がり込んだりして…」
「迷惑だね」
「迷惑だよ。迷惑千万だよ。お前、そんなゴミみたいな大人になりてぇのか?」
「ヤだ。絶対になりたくない」
「じゃあ、父さんの言うことを聞け」
「分かった」
「まず最初に、上手く行かないことをリストアップしろ」
「ふん」
「そして、なぜ上手く行かないのかその理由を探せ」
「ふんふん」
「それから、どうすれば上手く行くかを考えるんだ」
「んー…」
「どうした?」
「頭が痛くなって来た」

頭が痛いのはこっちだ。
しかしここで匙を投げてしまっては、養育義務を放棄することになる。
それはいけない。
俺は根気強く息子を諭し続けた。

「人間は考える葦であるって格言をお前は知ってるか?」
「考えるアシ…?」
「ちんちんの両脇に生えてる脚じゃないぞ。植物のアシだ」
「それぐらい分かるよ。でもその格言は知らない。どういう意味?」
「人間なんてものは取るに足らない存在だけども、少なくとも考えることは出来るってことを言ってるんだ」
「ふーん」
「つまり人間にとって考えるってことはなににも増して重要なことなんだよ」
「ふん」
「考えるからこそ人間なんだ。考えない奴ってのは、それこそ…」
「葦だ」
「そうだ。ただの葦だ。雑草だ」
「ふんふん」
「分かったか?」
「うん。…ところで、父さん?」
「なんだ?」
「あそこ雑草生えてるよ」

息子はそう言って壁際を指した。
見れば、先月から家に居候している兄貴がソファに寝そべって鼻クソをほじりながらテレビを観ていた。

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