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私のこだわり HSP

小学生・中学生の頃、
私には妙なこだわりがあった。

今思い返すと、なぜそんなにこだわっていたのかさっぱりわからないようなこだわり。
でもその当時どんな気持ちでそのこだわりを守っていたのかは、はっきりと覚えていたりする。



こだわりの数字

私は一時期、特定の数字にこだわっていた。

例えば1〜10の間でいうと、1,3,5,8,10をなぜか優位としていた。

何をするにもこれらの数に合わせることが自分的に気持ちが良くて、違う数字だとなんとかして合わせようとしていた。

これについて一番覚えているのが、お菓子や飴玉を食べるときのことだ。

一袋の中に何種類かがそれぞれいくつかずつ入っているわけなのだが、どの種類がいくつ入っているのかをまず確認したくてたまらない。

確認してみると種類によって数が違う!しかも4個とか6個とか、これは気持ち悪い!

となるととりあえず全種類の数を上記の数たちに合わせるように分ける。
その際に省いた分からまず食べて、それがなくなったら全種類の数を平すように選り分けて食べる。ということを繰り返すのだ。



こだわりの方向転換

このこだわりが、1番わけがわからないと言われがちだ。

単純に言うと、右に曲がったら左に1回転しないといけないという自分ルールを決めていたのだ。

右に90度曲がったということは、今私は正常な状態でないから、左に回って修正しないと。
みたいな。
左に曲がったら右に1回転しなきゃだし、右回りでUターンしたら左に1回転しなきゃっていう。


本当になんじゃそりゃ、という感じだけれど、このルールに従わないと気持ちが悪くて、忠実に守っていた。

しかしこの話を「わけわかんないでしょ?笑」という感じで最近友達に話したら、共感を得てびっくり。

彼女の周りでは他にも同じような人がいるようで、自分の知らないところに意外とお仲間がいるのかもしれない。



こだわりの持ち物

一度気に入ったものにこだわり、それ以外を認めない、一生これを使い続けるんだ、
という「もの」へのこだわりが強くあった。

例えばイルカのグラスやトンボのお茶碗、ブラシ、タオルなどだ。
どれも私専用のもので、毎日のように使い続けた。

母がグラスやお茶碗を割った時、私は号泣して、ボンドを使って破片をつなぎ合わせては、もう使えないことを悟って泣き続けた。
同じものを探し歩いては、もう売っていないことに気づいてまた泣いた。

タオルはどんなに擦り切れても使い続けているし、ブラシは無くしたり販売終了されると困るからと、同じものを買ってストックした。

特に高いものでもなければ、自分が一目惚れして買ったものでもなくて、ただ自分が使い続けているという理由だけで執着していたような気もする。


他にも、自分のすごく長い髪にこだわって何があっても切ろうとしなかったり、普段のシャンプーやリンス、洗剤でないと受け付けなかったり(匂いに敏感なせいでもあるけれど)、

持ち物全般に関して、安物だろうとボロボロになっていようと使い物にならなくなろうと、使い続けたいという感覚がその他の要素に勝利することが多い。


一度得た安心感を手放したくないとか、そういう感情なのかなあ。



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