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不登校時代の勉強方法


不登校になると大人たちが口を揃えて言うのが、「勉強遅れるよ」だった。

しかし私は幸運にも、その懸念を全くと言っていいほど持つことなく、不登校時代を過ごした。たまに届けられるテストは、範囲を知らずに解いても大抵高得点を取ることができた。

おそらく私の場合は、比較的知能が高かったこと、知的好奇心が旺盛だったこと。加えて、「馬鹿にされてたまるか」という負けず嫌い精神が強かったことが功を奏したのだと思う。


今回は、私が不登校の頃どのように勉強していたのかや、勉強についてどのように捉えていたか、どうにも苦手だったもの、についてお話ししようと思います!

他の記事でも紹介していますが、
私は小学2年生から不登校になり、中学卒業まで、行ったり行かなかったりを繰り返していました。

正直なところ、「授業で何かを学んだ」という記憶がほとんどありません。
大学で、小学校教育に関する講義の中で小学校教科書を取り上げる場面が多くあったけれど、私には教科書の8割方見覚えがないほどでした。

ではどこで知識を身につけたのか。



進研ゼミ

塾にも行かなかった私が、小学校・中学校のおおまかな勉強の助けとなってくれたのが進研ゼミだった。

私はこの頃から算数や数学には強く興味を持っており、難解な算数・数学問題を集めた全集のようなものを買ってもらったり、3個上の兄の教材を暇つぶしにやっていたこともあったが、
社会などには点で興味がなく、わざわざ問題集を買ったりなどしなかった。

いくら知識の吸収が得意であったとしても、見たことのないものは知りようがない。

これではどうにも知識に偏りが出る。

そんな私にとって、とりあえず全教科の問題集を手に届く範囲に与えてくれ、また、添削教材などもあったことで、「できた」「できてない」を可視化してくれる進研ゼミはとても役立った。


かといって誰も「やれ」とは言わないし、いつやってもやらなくてもいい。
というところが一番重要なところ。
(私は「やりなさい」と強制されると絶対にやりたくない人です笑)


知っているところは一瞥で終わって、知らないところはじっくり読めるし、
いくら寄り道しようが自分の自由。

基本的には半年分ほど貯めて、思い立ったら2日間で全部やり切るというスタイルで使っていた。

その2日間はおそらく過集中状態で、1日中まともに食べることもなく話すこともなく、ぶっ続けでテキストを捌いた。
(ついでに家にある他の問題集なども)

進研ゼミのおかげで、社会などに関しても、
みんなは知ってるのに自分は全く見たことがない、ということはなく、スムーズに進学してこれたのではないかと思う。



漫画・ドラマ

小学校や中学校の国語においても、わからなかったり難しかったりということは全くと言って良いほどなく、漢字練習などしなくとも困らないだけの漢字を既に知っていた。

また、文章構成にも我ながら長けていて、
小学生の時点で、「この文章は辻褄が合ってない」「こうしないと違和感がある」と、
大人の文章の校正を確信を持ってできるほどだった。

自分でもなぜそんなに自信を持って言い切ることができるのか、
はっきりとした知識というより感覚に近いこれがどこからきたのか不思議だった。

今考えてみると、小学生の頃に日夜読み漁っていた漫画たちが、私に漢字と文章構成能力を与えてくれたのではないかと思う。

特に名探偵コナンは、小学3年生の時からハマり始め、何周も何周も読み続けていた。  

常用漢字はコナンでほぼ覚えたのではないかと思うし、
文章がとても多く非常に論理的なので、繰り返し読んだり暗唱したりしていたことが、私の文章力向上に大きく役立ってくれたのだと思う。

また、名探偵コナンは雑学を仕入れる場にもなってくれた。hPaを小学生の段階で知っていたり、どの血液型がどのくらい希少であるかなどに興味を持ったのも、コナンのおかげであった。
(今となってはコナンオタクなので語り出すと止まらないが笑)


また、小学生時代は特に、毎日の様にドラマを観ていた。新しいドラマを開拓するだけでなく、何度も同じドラマを見返した。

小学4年生の頃、友達と遊んでいるところに母が来た際、友達が母に「〜ちゃんって本当に関西人ですか?」と聞いていたことがある。(私は関西生まれ関西育ちです)
というくらいに、その頃私の言葉遣いは標準語に近かったらしく、おそらくドラマの影響だろうと思う。

このことから、話し方や言葉の組み立て方は、ドラマから学んでいたところも大きかったのではないかと今では思う。



苦手だったこと

漢字の書き順

上でも紹介したように、私はおそらく漢字を「目で見るだけで」覚えてしまっていた部分が大きい。つまり、「どうやって」書くかは付随することなく漢字を知ってしまったということ。

今でも書き順には全然自信がない。


小数の割り算の筆算

ざっと算数を勉強したときにすっ飛ばしてしまっていたのかわからないけど、これに関しては中学に入るまでわからないままだった。

というか、こうやるんだよ、という手続的な知識は中学に入る頃知ったのだけれど、
「商は、小数点以下は問答無用で毎回0を足していっていい」というのがどうにも理解できなかった。(伝わるだろうか)

今、子どもたちに算数を教えるとなって再勉強してみたのだけれど、思った以上にちゃんとわかっていなかったことが判明した。

曖昧な部分は、感覚で確認しながら解いていたのだと思う。


興味を持てない暗記物

暗記が主になる教科、特に自分があまり興味を持てない社会系の科目については、からっきしだめだった。
正確には、短期的に詰め込んでやり過ごすことはできるのだけれど、まるで残らない。

通常日本史などは、小学校→中学校→高校と、同じ範囲を繰り返し学び、より細かいところまで内容が深まって行くのだが、
私は高校の授業で、他の子たちと違い、ほぼ初見に近い知識を詰め込まねばならない状態になったため、なかなかに苦労した。




私はこのように、一言で言うと「強制されない学び」によって、さまざまな知識を身につけることができた。

初めは勉強の遅れが心配されていたが、
むしろ、もう知っているところやすぐ理解できることについて長々と授業を展開され、授業中に他の勉強をすると叱られる学校教育は、私にはあまり合っておらず
この独学スタイルが私にとってはとても効率的で、心地の良いものだったのだと思う。

勉強は私が不登校になった原因ではなかったが、もし不登校になっていなかったとしたら、学校での学びの面でストレスを受けていたのではないか、と思う。

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