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不登校仲間だった兄の存在ー元不登校HSPー

私にとっての兄は、共に戦う仲間だった。

今でもピンチに陥る夢を見ると、最後まで一緒に戦ってくれる人は兄で。
心の中で常にそういう存在に思っているのだろうなと思う。

この記事では、母を好きになれない①②に引き続き、
兄について書こうと思います!

母についての記事はこちら→

私には3歳上に兄がいて、割と妹のことを溺愛している。
しかし母とは違い、過保護ではない。

私が下宿を始めた今、兄からラインや電話が来ることはほぼない。

でも稀に私が家に帰ると、
「〇〇買ってん!」「聞いてくれよ」「ゲームやろうや」
と嬉しそうにたくさん話しかけてくる。

それを私はさらっと流していることが多いのだけれど、
兄はお構いなく話し続けている。

親には話したくないことは、2人で公園に行って、ブランコに乗りながらダラダラと話していたりする。(大体母親からの鬼電が邪魔するが)

面倒臭い詮索をしてくることはないし、心配もしてこない。
この関係性が心地よい。


そして兄は家族の中で、私が唯一信頼できると感じている相手なのだと思う。


私が学校に行けなくなって毎日家にいた時代、
兄も一緒に家にいることが多かった。

細かくは書かないけれど、兄は兄で、学校に通うことが難しかったからだ。
ある意味、私よりもしんどい状態だったのだと思う。


母が仕事に行って2人で留守番している間、
チャンバラごっこやカードゲーム、ビーダマンやベイブレードなど、
兄の提案する遊びをたくさんしていた。

テレビゲームがすごく好きだった兄は毎日リビングのテレビでゲームをしていて、私は兄と喋りながらそれを楽しく見ていた。

兄が他の小学校にカウンセリングに行くときは、私もついて行った。
カウンセリングが終わると兄は嬉しそうに「行くぞ!」と私に言って、
その小学校の滑り台やトランポリンで一緒に遊んで、隠れ家っぽいカフェでお昼ご飯を食べた。


兄とたいして深い話をしていたわけではないし、喧嘩したこともある。
ガタイのいい兄を心底怖いと思ったこともある。

でもやはり、家というとても小さな世界の中に、自分と近い状況を生きている存在がいたことは私にとってとても大きかった。
親にはわからない、学校の酷いところ、
教師への不信感を共有できる唯一の存在だった。


私が兄を味方だと思っている一番の理由が、
家に私の担任教師が乗り込んできたときの記憶にある。

私も兄も不登校だったとき、兄の教科担当教師の後ろに隠れてインターフォンを通過した私の担任が、家の中に入り込んできた。
(その教師についての細かい話は、また他の記事でも書くかもしれない)

その時には母親もさすがに私の担任の異常さに気づいていたので、隠れていなければ家にあげるなんてことはしなかったはずなのだが、騙されてしまった。

こたつの下に隠れて泣きじゃくる小学2年生の私を、担任は何か叫びながら引きずり出して、そのまま引きずって行こうとした。
母親は後ろで「警察呼びますよ!」とか言っていたが、間には入ってくれなかった。怖気付いたのか、そんなに助ける気がなかったのか知らないけど。

そんな地獄絵図の中で、兄だけが担任に塩を投げつけ(その方法がいいとは言わない)、担任の豪華に飾られた高そうなバッグを9階の我が家から外にぶん投げる反撃をしてくれた(すごくいい方法だと思う)。

私の担任は兄にとっては何の関わりもない人だったし、細かい事情は知らなかったはずなのだけれど。兄もパニックになっていただけなのかもしれないけれど。その場で迷いなく私にとっての敵を攻撃してくれたことがすごく嬉しかった。

担任は投げ捨てられたバッグに気を取られ、退散させることができた。


私の不登校生活は、兄がいたおかげで随分とマシなものになっていたのではないかと思う。
もし一人っ子だったなら、一体今頃どうなっていたのだろうと考えたりもするのだけれど、全く予想がつかない。
そのくらい、兄の存在は私の子ども時代において大きかった。


これからもこの心地のいい距離感のまま、ある種の相棒のような感じで、
過ごしていけたらなあと思う。






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