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元不登校HSPの自分史ー小学校1〜2年生ー 小学校生活の不安

この記事では、私の小学校1〜2年生の頃のことを書こうと思います!
幼稚園の頃の話はこちらの記事でしています!

私が不登校になる直接的なきっかけは2年生の頃の担任の先生でしたが、
今回はそれ以前の、学校生活を送る上での不安やストレスについてお話しします!


私はB幼稚園での比較的過ごしやすい日々を終えて、小学校に入学しました。
人見知りで、緊張を感じやすかった私にとって、初めての学校生活は不安の連続でした。

1年生の頃の担任の先生は、ベテランの女の先生で非常に子ども想い。
今思うと、この先生のおかげで1年間を乗り越えることができたと思います。



授業の緊張。

私は授業を受ける緊張感のせいか、
休み時間にちゃんとトイレに行っていても、授業中必ずと言っていいほどトイレに行きたくなってしまいました。

そして授業中に「トイレに行きたい」と言わなければならないストレスで、また一層行きたいような気がしたり、お腹が痛くなったりしました。

1年生の時の担任は、私がか細くそれを伝えると、いつも優しく「行ってらっしゃい」と言ってくださいましたが、

2年生の時の担任(私が不登校になるきっかけの先生ですが、細かい話は別記事にします)は、私が「先生、、トイレに、、」と言うと、
「トイレに?なに?『先生トイレに行かせてください』だよね?」と冷たい声で言いました。

ほんの些細な話ではありますが、当時の私にとってはとても怖く、授業が始まるのが怖く感じるようになりました。



みんなの前で話す。

私の小学校では、「1分間スピーチ」と言うものがありました。
その日の日直が帰りの会で、自分についてや、与えられたお題に関して1分間、クラスみんなに向かって話すというものでした。

当時の私にとっては、
人前で話すということが1番のストレスで、前に立っただけで涙が溢れてくるほどでした。

特に、「自分に関して」など漠然としたテーマで話さなければならないことはとても辛く、日直に当たった日は1日中スピーチのことで頭がいっぱいでした。



友達関係。

私には、同じマンションに住んでいてA幼稚園でも一緒だった幼馴染(Hちゃんとします)がいました。

毎朝マンションの玄関で待ち合わせて登校し、1年生ではクラスも一緒だったので休み時間もずっと一緒で、一緒に下校して家や近所で遊ぶ、という感じ。

しかしHちゃんは自分勝手だったり、意地悪をしてきたりすることがよくありました。
下校中に強くどつかれて、歩道から車道に転げ出したこともありました。
他にも、休み時間全てを一緒に過ごさないと怒ったり、他の友達との約束や一緒に帰るという話をすると、無視されたりしました。

当時の私には「Hちゃんが悪い」という思考はなく、「自分が怒らせる行動をとってしまったのだ」と考えていたし、
自分よりHちゃんの方が優位にいるような感覚を持っていて、だからこそストレスを感じながらもHちゃんと一緒に居続ける選択肢しかありませんでした。

他にも、クラスメイトに意地悪な女の子3人衆がいて、「ちび!」などと言われては、廊下で突き飛ばされて転ばされていたような記憶があります。

しかしそれを「いじめ」のように捉えることはなく、泣いた覚えもなく、おかしな話ですが何も感じていなかったように思います。

今思い返すと嫌味で言われていた言葉たちを、当時は額面通りに受け取り「ありがとう!」なんて思っていて、色々なことに敏感な癖に、その点はものすごく鈍かったなあと不思議に思います。



まとめ

小学校1年生の頃、繊細さや敏感さにより、学校生活の中で不安やストレスを感じる場面が多々ありましたが、
担任の先生のサポートがあったこと、友達の言葉を難しく捉えない鈍感さがあったことで、
1年間無事学校生活を送ることができたのだと思います。

小学校2年生になると、担任の先生をきっかけとして学校に行くことが非常に困難になっていきましたが、これは次の記事で書こうと思います!


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