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わたしが十年、持ち歩いた言葉

ねー、あるんですよ。そんな言葉が。

簡単にいうと前職かな?転職してなかなか波に乗れなかったんで、何かにすがりたいーと思ったんでしょう。本のページをコピーして、鞄に入れて持ち歩いてたな。ことあるごとに眺めてたわけじゃないけど、忘れないようにって気持ちがあったんだと思う。


それはなにー?ってどん。

表現力の差は、他者の思いを想い、想い至る力の差。


ちょと本は古いんで、絶版になってそうだけど。コピーライター仲畑貴志さんの言葉です。

「表現力の差は、他者の思いを想い、想い至る力の差。」んー、いま読むとふつーな気もするけど(笑)当時のわたしは、これが足りないと思った。で、実際足りてなかったと思います。もっと自己中心的というか、自分の頭の中だけで完結してたよーな。


でも、表現って、書くってそーじゃないんですよね。

あたりまえだけど、相手あってのことなんで。自分がどれだけいいのん書けたーと思っても(それもとても大事だけど)届かなきゃ意味ないし。ましてコピーライターで、書いてクライアントからお金いただこうってんだから、自己満足じゃどーしようもないわけで。


そうそう、たしかこんなエピソードが載ってたんだ。上京してきた年配の方に、東京駅から○○への行き方を聞かれたとする。

「ああ、それなら次の交差点を右折して、三番目の筋を左折。そのまままーっすぐいけば看板が見えてくるんで」たしかにこれでも伝わるかもしれない。でも、相手はパッと伝えたその道順を覚えられるだろーか?ほんとに案内したことになるだろーか?


そこで、仲畑さんはこう言うんです。

たとえば「ここを右に曲がって。この時期、きれいなツツジが咲いてる歩道が続くんでそこをまっすぐ行ってもらって。そしたら、角においしいおはぎを出してるお店があるんで、その交差点を渡って」こんな風に伝えれば、おじいさん(おばあさん)もわかりやすいんじゃないか。


ちょと内容は雰囲気で再現してますが、なんとなく伝わりますよね。ようは、いかに相手の気持ちになれるかなんだと。

これはコピーライティングの話ではあるけど、noteみたいなエッセイや記事もいっしょだと思うんです。これで伝わるかな?誤解されないかな?ここまで書くとくどいか、いやでもこれ書かないと真意伝わんないもんな。じゃ、どう工夫しよー?って、この繰り返しじゃないですか。


この試行錯誤こそが、相手(他者)を想うってことなんだもん。

自分で好きなように書くのも大事、読み手を想うのもまた大事。この想像に終わりはありません。いくら考えても十分ってことはない。ここが書くむずかしさでもあり、おもしろさでもあり。もう持ち歩くことはなくなったけど、いまも思い出す一文です。


この記事はメンバーシップ「書く部」みんなで書こう企画 #わたしの好きな一文選手権 で書きました。


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