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根拠のない自信と、無邪気さに溢れていたあの頃

私は、人に認められたい、
褒められたいという気持ちが
強いタイプかもしれない。

行き過ぎなければ、
認められたいという思いが
原動力になるし、褒められて伸びるから、
いい事だとは思う。


人に認められたいから〇〇をする、
ということが基準になると、
軸がブレブレになるけど、

〇〇をしたいと自分で決めて、
その成果を褒めてもらえたら嬉しいな。
認めてもらえたら嬉しいなって感じだ。


承認欲求に、
他者承認と自己承認があることは、
今までピンときてなくて、
気になったので、少し調べてみた。

承認欲求とは?
承認欲求(しょうにんよっきゅう)とは、「他者から認められたい、自分を価値ある存在として認めたい」という欲求であり、「尊敬・自尊の欲求」とも呼ばれる。(Wikipediaより)
他者承認と自己承認
 承認欲求は承認されたい対象によって、おおむね2つのタイプに大別される。ひとつは他人から認められたいという欲求であり、もうひとつは自分の存在が理想とする自己像と重なるか、あるいはもっと単純に今の自分に満足しているか、という基準で自分自身を判断することである。前者を他者承認と呼び、後者を自己承認と呼ぶ。(Wikipediaより)

私は、自己承認はまぁまぁ、
出来ていたのかもしれない。
元々自分の事は好きだし、
欠点があっても、
そこもいいよねって思っていた。

ただ、自分ではそう思っていても、
他者承認されなかったり、
否定されたりすると
「あれっ、私はいいと思ってるけど、
本当は違うの?」
と揺らいでしまうのだ。

私の自信って、元々根拠がなく、
感覚的なものだから、
揺らぎやすいのかもしれない。

今後の課題は、形として、
目に見える自信をつけること。
今思いつくのは、
資格を取るとか、知識を深めるとか。

◇ ◇ ◇

20代の前半は、
根拠のない自信と
無邪気さに溢れていて、
それが鼻につく人もいたと思う。

少し現実逃避をしていて、
楽しければいいと、
フワフワしていた頃。

「なんでそんなに無邪気なの?」
「現実を見ろ!」と、
矯正してくる人もいた。

そこから、
自分の感覚が、
世間とずれているのかな?と思い、
周りに合わせるようになっていった。

周りに合わせる事が普通になってきて、
それが、少し行きすぎてしまった。
承認してもらえる行動ばかりを選ぶようになっていた。

そしていつしか、
他人軸で生きるようになってしまった。

でも、今年3月に一度全部手放して、
自分軸で生きようと決めた時から、
私は私の事が好きだったと思い出し始めた。


根拠のない自信に満ち溢れ、
無邪気すぎたあの頃の私と、
今の私を足して2で割ったら、
ちょうどいい私になりそうな気がする。

自由にのびのびと、私は私を生きていこう。



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